2-コービー・ブライアント
1998年、若きコービーがジョーダンに挑んだ夜
―19歳の衝撃と「後継者探し」が交錯したNBAオールスター
1997-98シーズン。この年のNBAは、1人のレジェンドと1人の若者によって、まるで象徴的な儀式のようなドラマが生まれていた。ひとりは言わずと知れたマイケル・ジョーダン。もうひとりは当時まだ10代だったコービー・ブライアント。時代をつなぐ2人が交差した、その象徴的な舞台が、1998年2月、ニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデンで行われたNBAオールスターだった。
オールスター最年少出場、その名はコービー・ブライアント
1996年に高校からNBA入りを果たしたコービーは、当初から話題性に事欠かなかった。シュート力、アスレチック能力、華のあるプレースタイル、そして何より“ジョーダン2世”を感じさせる仕草やマインドセット。だが、2年目となるこの1997-98シーズン、彼はまだレイカーズではシックスマン。スタメンではなかった。
にもかかわらず、ファン投票でウェストの先発シューティングガードに選ばれた。しかも、当時のNBAにはやミッチ・リッチモンド、そしてチームメイトのエディー・ジョーンズといった実力者が並ぶ中での選出だ。ファンの期待が、いかにこの10代に集まっていたかがわかる。
しかも出場時の年齢は19歳170日。オールスター史上最年少記録。異例中の異例だった。
ベテランたちの“ざわつき”と静かな反発
ただし、現場の空気は決して歓迎一色ではなかった。オールスターというのは本来、長年の実績とキャリアが評価される“名誉の舞台”。そこに、まだ何者でもない10代が出てきた。しかも先発で。
とくにベテランたちは内心、面白くなかった。実績もない若造が、自分たちの舞台にいきなり“主役”のように登場する。そんな異分子に対して、冷ややかな視線を向ける選手も少なくなかった。
だが、コービーはひるまなかった。むしろこの舞台こそ、自分を証明するチャンスだと捉えていた。
「ジョーダンに挑む」という覚悟
1997-98シーズンは、マイケル・ジョーダンにとって“最後のダンス”とされていたシーズンだった。実際この年のプレーオフを制した後、ジョーダンは二度目の引退を決意する。そんな中でのオールスター。多くの人々がジョーダンの花道を用意していた。
だが、コービーだけは違った。憧れの存在であり、リスペクトもしている。けれど、それだけで終わるつもりはなかった。ジョーダンと同じポジションで出場する以上、“目の前の敵”として戦うつもりだった。
試合前、コービーはこう語っていたという。
「オールスターで俺が一番やりたいのは、ジョーダンと一対一をやることさ。」
これが、コービーの真骨頂だった。ただのファンじゃない。自分も“伝説”になるつもりで、ジョーダンに挑んでいた。
迎えた試合当日 ― マディソン・スクエア・ガーデンの熱狂
1998年2月8日。ニューヨークの聖地MSGは、異様な熱気に包まれていた。ジョーダン最後のオールスターかもしれない。その一方で、10代のスーパールーキーが挑戦者として現れた。
コービーは試合開始から積極的だった。ボールをもらえば1on1を挑み、果敢にダンクに飛び込む。ジョーダンが目の前にいようと、おかまいなし。むしろ積極的に仕掛けていく。
一方、ジョーダンも“その気”になっていた。リタイア前の余裕あるプレーではなく、明らかにギアを上げてコービーに応じていた。まるで2人の間だけでゲームが成立しているような時間が、会場を支配した。
スタッツ以上の価値 ― ジョーダン vs コービー
試合はイーストが135-114で勝利。ジョーダンは23得点、8アシスト、6リバウンドでMVPを獲得。コービーは18得点、6リバウンドを記録した。
数字だけ見れば、ジョーダンが上回っている。だが、この試合の価値は、数字にはない。2人が交わした目線、互いを意識した駆け引き、そして観る者に伝わる“火花”。まるでNBAの歴史が、次の世代にバトンを渡す瞬間だった。
しかも、ジョーダン自身もコービーの存在をはっきり認めていた。
試合後、ジョーダンはコービーについてこう語っている。
「彼はゲームを愛してる。それが伝わるよ。とにかく攻めてくるし、俺のプレーをよく見てる。」
ジョーダンの目に、確実に何かが映っていた。
真の意味での“後継者探し”のはじまり
このオールスター以降、“ポスト・ジョーダン”というテーマはさらに強調されるようになる。グラント・ヒル、ペニー・ハーダウェイ、ジェリー・スタックハウス…それまでにも“次のジョーダン”候補はいた。
だが、コービー・ブライアントという19歳の少年が、真っ向からジョーダンに挑み、あそこまで渡り合ったことで、流れは決定的に変わった。
もちろん、まだ荒削りだった。効率の悪いショット、無理な1on1、時には空回りもあった。けれど、コービーには「絶対に自分が頂点に立つ」という信念があった。
それがジョーダンの闘志と響き合った。だからこそ、多くのファンも「あいつならいける」と思ったのだ。
後年に語られた2人の関係
その後、コービーとジョーダンの関係は、ライバルから師弟へと変化していく。ジョーダンは現役引退後、度々コービーと会話を交わし、アドバイスを送っていた。コービーもそれを公言している。
「マイケルは俺にとって兄のような存在だった。」
最初のオールスターでの衝突が、後の深い絆へとつながっていたのだ。
まとめ:1998年のオールスターは“象徴”だった
1998年のNBAオールスターゲーム。それはただの年中行事ではなかった。マイケル・ジョーダンという偉大な存在の最終章と、コービー・ブライアントという新たなスターの序章が交差する、歴史的な瞬間だった。
コービーがあそこでジョーダンに挑まなければ、何かが欠けていたかもしれない。そして、ジョーダンがそれに本気で応じなければ、次の時代は育たなかったかもしれない。
19歳の挑戦者と、35歳の王者。その火花が、NBAというリーグの魅力を世界に再認識させたのだ。
あの一夜こそが、「NBAは続いていく」という希望そのものだった。
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