NBAポスターコラム1:ボストンファンの「ずっと嫌いでいたかった。」には胸に来るものがある。

NBAポスターコラム

1-コービー・ブライアント

コービー・ブライアントは、1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズに指名され、その後20年間同じチームでプレーしました。彼のキャリアは、彼の8番時代と24番時代の2つの期間に分けられます。

8番時代は、コービーがレイカーズでプレーした最初の10年間です。マイケル・ジョーダンなどのスーパースター選手から多くを学び、自分自身を洗練させていきました。

しかし、コービーは2003年のオフの6月に、19歳の女性からレイプされたと訴えられ、このスキャンダルでコービーは観客のブーイングや、裁判所とアリーナを行き来する生活に悩まされるシーズンを送る羽目となります。その後、プライベートな問題やチーム内のトラブルに直面することにもなります。「コービー&シャック」というNBA史に名を残す最強デュオも、内部崩壊という最悪の形で終焉を迎えました。

それでも比類なき得点力を武器に数々の記録を樹立。現役最高の選手の地位も確立し、イメージも回復したが、チャンピオンリングを手に入れることはできませんでした。そして2006-07シーズンから背番号を『24』に変更。新しいキャリアを築き始めることになります。

24番時代は、コービーが8番を引退してから始まった新しい時代です。コービーは、新しい背番号24を採用し、さらに多くの目標に向かって努力することを決めました。キャリアの後半はより成熟して、リーダーシップを発揮するようになりました。彼はパウ・ガソルなどのチームメイトのレベルを引き上げ、チームを勝利に導きました。彼はさらに2回のNBAチャンピオンシップを獲得し(合計5回)、オールスターに18回選ばれました(8番時代含む)。

コービー・ブライアントは、彼の8番時代と24番時代の両方で、彼自身の能力とスキルを高め、チームを勝利に導いていきました。

ですが、2020年1月26日午前9時45分(日本時間27日午前2時45分)頃、アメリカ合衆国西部ロサンゼルス近郊のカラバサス(英語版)で、試合の行われるマンバ・スポーツ・アカデミーへ向かう途中であったコービーと次女ジアナら9人が乗ったヘリコプターが墜落し、コービーを含む搭乗していた全員が死亡しました。

これには世界中のバスケットボールファンやスポーツ界全体に大きなショックを与えました。また、彼はスキルや競争力、献身的な姿勢などで、多くのバスケットボール選手やファンに影響を与え、尊敬されていました。

コービーの死は、スポーツ界において、多くの人に愛された人物の早すぎる死を象徴するものとなりました。コービーが遺した多大な功績からNBAオールスターゲームMVPの名称を2020年から「NBAオールスターゲーム コービー・ブライアントMVP賞」に改称されるなど、彼の功績と遺産は今でも語り継がれています。

追伸、どうしてもコービーに会いたくて、仕事を辞めてLAに観戦に行った。

当時はそうでもしなければ、長期の連休なんて夢だったからだ。

一生の宝物になった。

コービーのキャリアを振り替えって、改めて思うのは浮き沈みの大きさ。

彼が残したレガシーでもある「マンバ・メンタリティ」をよく体現していると思う。

それは残したスタッツよりも魅力的だ。

追伸、だからこそあの事故の後の、ボストンファンの「ずっと嫌いでいたかった。」には胸に来るものがある。

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