NBAポスターコラム1:コービー・ブライアントという名の遺産と、その背負ったものすべて…。

NBAポスターコラム

1-コービー・ブライアント

「ずっと嫌いでいたかった」――コービー・ブライアントの遺したもの

「ずっと嫌いでいたかった」
これは、レイカーズの宿敵ボストン・セルティックスのファンが、コービー・ブライアントの突然の死を受けて口にした言葉だ。
本気でぶつかり合い、本気で嫌いになって、それでも心の奥底ではずっとリスペクトしていた。
バスケットボールという競技に人生を捧げた男、コービー・ブライアントのキャリアを振り返れば、その言葉がどれほど重く、どれほど深い意味を持っているかがわかる。


8番の時代 ――「若さ」と「狂気」の10年間

1996年、17歳でNBA入りしたコービー・ブライアント。ドラフトでは13位指名だったが、すぐにレイカーズへとトレードされる。ここから彼の物語が始まった。

若さと才能に溢れ、マイケル・ジョーダンを公言で超えると語ったルーキーは、決してただのビッグマウスではなかった。華麗なフットワーク、鋭いフェイダウェイ、クラッチでの勝負強さ。誰よりも早く練習に来て、誰よりも遅くまで残る。努力が天才を凌駕した瞬間を、何度もこの男は見せつけた。

だが、それは同時に「狂気」でもあった。チームメイトとの関係は常にピリついていた。誰よりも勝利に執着し、負けを許さず、妥協を拒む。だからこそ、彼はシャキール・オニールという最強のビッグマンと並びながらも、衝突を繰り返した。

そしてコービーは最悪のスキャンダルに巻き込まれる。2003年、19歳の女性からレイプの容疑をかけられた。裁判所とアリーナを往復する生活。

このスキャンダルは結局、刑事事件としては不起訴、民事で和解となるが、彼の名に一生消えない影を落とすことになる。アウェイでは激しいブーイング。スポンサーの離脱。レイカーズは決して彼を見捨てなかったが、コービーという男に世間の視線は冷たかった。

そんな中においても3連覇という偉業を成し遂げるが、それでもなお2人の溝は埋まらず、「コービー&シャック」は2004年にシャックのマイアミ・ヒート移籍により、ついに解散することとなった。


誰よりも孤独だった得点王時代

その後、シャックがいなくなったレイカーズで、完全にチームの顔となったコービーは、狂ったように得点を量産する。

2006年1月22日、トロント・ラプターズ戦での81得点。これはNBA史上2位の記録。数字だけじゃない。試合を見た者ならわかる。1対5でも構わないという気迫。ひとりで勝たせるという強烈な意思。

だがこの頃、彼はまさに「孤高のスコアラー」だった。プレーオフでは勝てず、チームも再建途中。バスケットは個人競技ではないという批判が集まり、MVPにも届かない。それでも彼は言った。

「俺は勝つためなら、誰に嫌われてもいい」

この言葉がコービーのすべてを物語っている。


24番の時代 ――「王」としての成熟

2006-07シーズン、コービーは背番号を8から24へと変える。これは「新しい自分になる」という意思表示だった。
24は、1日24時間すべてをバスケットに捧げるという意味も込められていたという。

この番号変更を境に、コービーは真の意味で「リーダー」となっていく。
パウ・ガソルという優秀なビッグマンを迎え入れたことで、レイカーズは再び王者候補に返り咲く。

そして2009年、2010年と2連覇。特に2010年のファイナルは、かつてのライバル、ボストン・セルティックスとの死闘。第7戦での勝利は、コービーにとってキャリア最高の勲章となった。

「俺はシャック抜きで勝ちたかった」

それを達成した瞬間だった。


「マンバ・メンタリティ」――レガシーの核心

引退までの数年間は、怪我との戦いだった。アキレス腱断裂、膝の手術、肩の負傷。
それでもコービーは「勝つために、戦うために」コートに立ち続けた。

2016年、引退試合。ユタ・ジャズ戦で60得点。最後の最後までバスケットボールを愛し続けたその姿に、観客は涙を流し、敵味方関係なくスタンディングオベーションが送られた。

そして彼の言葉――

「Mamba Out(マンバ、退場)」

この短い一言で、コービー・ブライアントという男の幕が下りた。

「マンバ・メンタリティ」
それは妥協しない精神、自分を超え続ける努力、負けを恐れず挑む勇気。
これはバスケットボールだけじゃない。人生にも通ずる哲学だ。


2020年1月26日――突然すぎた別れ

そして、あの日が来てしまった。2020年1月26日、ヘリコプター墜落事故。娘ジアナと共に命を落とす。享年41歳。

世界は凍りついた。SNSは悲しみに包まれ、ニュースはコービー一色になった。
彼を嫌っていた者たちですら、その死に涙した。

セルティックスファンの、「ずっと嫌いでいたかった。」という言葉。
あれは、コービーがどれほど“本物”だったかを物語ってる。
ただの敵ではなく、憎たらしいほど強く、美しく、尊敬すべきライバル。
嫌いでいたいのに、もう嫌えない。もう、いない。


遺されたもの――数字以上のインパクト

通算33,643得点、5度の優勝、18回のオールスター出場。
数字だけでも殿堂入りに値するが、コービーが残したものはもっと深い。

・敗北から学ぶ姿勢
・苦しみを力に変える姿勢
・勝利に飢え続ける意志

彼の死後、NBAオールスターゲームのMVP賞は「コービー・ブライアント賞」に改名された。
次世代のスターたち――ジェイソン・テイタム、デビン・ブッカー、カイリー・アービングらも、彼の精神を継承している。


終わりに――「Mambaは永遠」

コービー・ブライアントという男は、決して完璧ではなかった。スキャンダルも、チームメイトとの不和も、すべて彼のキャリアの一部だ。

だけど、そんな彼だからこそ、多くの人の心を打った。
強さと弱さ、冷酷さと優しさ、孤独と絆――その全てを背負って、彼はNBA史に名を刻んだ。

「ずっと嫌いでいたかった」
そんなふうに言わせる存在は、そう多くない。
コービーは、間違いなく“唯一無二”の存在だった。

Mamba Forever.

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