49-ジェラルド・グリーン
ジェラルド・グリーン──薬指を失っても空を飛び続けた男
ダンクで魅せた天才、その裏にある事実
ジェラルド・グリーンの名前を聞けば、NBAファンなら真っ先に思い浮かぶのは“ダンク”だろう。2007年、初出場となったNBAスラムダンクコンテストでいきなり優勝。シューズを脱ぎ、靴下姿でボードを飛び越えてダンクを決めた“無重力男”は、その驚異的な跳躍力で一躍スターになった。
だが彼のプレーからは、とても想像できない現実がある。なんと彼は薬指を一本失っている。少年時代、仲間との遊びの中で指が鉄製の金属に引っかかり、切断せざるを得なかったのだ。多くの選手ならそこでバスケットボールを諦めていたかもしれない。しかしグリーンは違った。むしろその障害を跳ね返すかのように、彼は空を舞い続けた。
「リングより高く跳ぶ男」の衝撃
グリーンの跳躍力は、単に高いだけじゃない。「異常」と言っていいレベルだった。彼がネッツ在籍時に決めた伝説的なアリウープ・ウィンドミル──それは単なるダンクではなかった。ゴールに向かって駆け抜けたグリーンは、アリウープのパスを空中でキャッチし、ウィンドミル(風車)で豪快に叩き込んだ。
その瞬間、彼の頭がリングの高さを超えていた。NBAのリングは地上から3.05メートル。普通の人間なら、ジャンプしても手の先がようやく届く程度。しかしグリーンは、まるでリングの上に「立っている」かのような高さでボールを振り下ろした。その一瞬で、全観客を黙らせ、そして総立ちにさせた。
指がない?それがどうした
信じられない話だが、グリーンは「自分がボールを掴める指があれば、もっとダンクを決めていただろう」と語っている。彼にとって薬指の欠損は、「本当の意味でのハンデ」だったのかもしれない。でも彼は続ける。「でも今でも十分、仕事をこなすことはできるんだ。」
薬指の喪失──多くのプレーヤーにとっては絶望的なアクシデント。だがグリーンにとっては、“物理的な不利”でしかなかった。むしろ、そこからどうやって戦い、どんなスタイルで勝負していくかを模索することに力を注いだ。その結果が、スリーポイントという新たな武器の獲得だった。
ダンクマシーンから、立派なシューターへ
若い頃のグリーンは、間違いなく“ダンクありき”の選手だった。とにかく跳ぶ。とにかく叩き込む。その爆発力と破壊力は、ベンチから出てきた瞬間に会場の空気を変えるほどだった。
しかしNBAは甘くない。ただ跳ぶだけでは生き残れない。特に30歳を超えてからは、身体能力が衰えはじめ、ダンクだけで戦うには限界が来る。そこで彼が磨いたのがスリーポイントシュートだ。
2013-14シーズン、サンズに所属していたグリーンは、キャリアハイの平均15.8得点を記録。その年、スリーポイント成功数は約2本/試合に達し、彼が“ジャンパーとしても通用する男”であることを証明した。爆発力と外角シュート、この2つを兼ね備えたことで、彼のNBAキャリアは想像以上に長く続くことになった。
NBAを去っても、挑戦は終わらない
グリーンはその後、ヒート、ロケッツ、セルティックスなど複数のチームを渡り歩く。時には主力として、時にはローテーション外として。波はあったが、彼の闘志は一度たりとも消えなかった。
一度はNBAを離れて中国リーグ(CBA)にも挑戦し、さらに一時は引退宣言すらしていた。だが、ロケッツのコーチングスタッフ入り後も、現役への思いは消えておらず、再び現役復帰を目指してGリーグからプレーを再開したこともある。
「自分に起こったその出来事は、誰しもが後悔するようなことだ。しかしそれと同時に、俺はただ座っていることができず、立ち上がって前に進み続けた。それだけの話だよ。」──この言葉こそが、グリーンのキャリアを象徴している。
彼が残した“希望”という名のハイライト
ジェラルド・グリーンのキャリアは、チャンピオンでもなければ、永久欠番になるような存在でもないかもしれない。でも、そのひとつひとつのプレーは、誰かの心を震わせ、何かに挑む者に勇気を与えてきた。
特に、困難を抱えているすべての人に対して。身体的な制約を理由に夢を諦めそうになっている者に、グリーンはプレーをもってこう伝えている。「それでも俺は空を飛べた。だから、お前にもできるはずだ。」
実際、薬指がない彼のダンクは、指が10本揃っている選手のどのダンクよりも高く、強く、美しかった。
最後に──「不幸が起こったら、諦めるな」
グリーンはこう語っている。「もし何か不幸が起こったら、諦めてはダメなんだ、戦い続けるんだ。」
その言葉は、ただの精神論ではない。NBAという最高峰の舞台で、身体的ハンデを抱えながらも戦い抜いた実績があるからこそ、重みが違う。
ジェラルド・グリーンは、バスケットボールプレーヤーとしてだけでなく、“生き様”そのもので多くの人に影響を与えてきた。そしてそれは、これからも変わらない。
・「NBA仮説ラボ|NBAの「もし」を考察する実験室」がコチラ↓

・NBAポスター絵画展がコチラ↓
・その他の投稿がコチラ↓
