27-マイアミ・ビッグ3
スリーキングスの真実と、レブロンが語った“もしも”のBIG4
2010年、NBAの歴史に衝撃が走った。レブロン・ジェームズがテレビ番組で「自分の才能をサウスビーチに持っていく」と宣言し、マイアミ・ヒートに移籍。ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュと手を組み、「スリーキングス(Three Kings)」が誕生した。このトリオは、単なるスター選手の寄せ集めではなかった。全員がキャリアのピークに近い状態で、しかもそれぞれのチームでエースだった。全盛期のスーパースター3人が、チームの勝利のために集まるという前例のない挑戦だった。
スターの共演ではない、“全盛期の融合”
マイアミ以前にも「ビッグスリー」は存在した。ボストン・セルティックスのピアース、ガーネット、レイ・アレン。サンアントニオ・スパーズのダンカン、ジノビリ、パーカー。しかし彼らはいずれも、全員が全盛期だったわけではない。1人、あるいは2人がピークを迎え、他のメンバーがそれを支える形だった。
一方、マイアミの「スリーキングス」は違った。レブロンはキャリアの8年目で、平均29.7得点、7.3リバウンド、8.6アシストと異常なオールラウンド力を誇っていた。ウェイドはすでに優勝経験を持ち、前年には26.6得点、6.5アシストを記録。ボッシュもトロントでの最終年に24得点、10.8リバウンドを叩き出していた。
この3人が、それぞれ自分のチームでエースを張っていた状態から一つに集まった。こんなケースはNBAの長い歴史を見ても初めてだった。
全員が全盛期だと、全員が“フル稼働”できない
ところが、スリーキングスの1年目は、スムーズにいかなかった。3人の個人能力は抜群でも、全員がそれまで自分中心のオフェンスでプレーしてきたがゆえに、ボールの共有、役割の整理に時間がかかった。
シーズン当初、ウェイドとレブロンのプレースタイルが被り、互いのスペースを潰し合った。ボッシュはウィングの2人に遠慮し、存在感を失っていた。スタッツもそれに表れている。ボッシュの得点は24.0→18.7に、ウェイドは26.6→25.5に、レブロンも29.7→26.7にダウン。3人の総得点はむしろトロント・クリーブランド・マイアミ時代の合計よりも落ちていた。
そう、全盛期の選手を集めればチームが機能するわけじゃない。エゴを捨て、役割を引き受け合わなければならない。誰かが犠牲になる構造になってしまう。それが、このスリーキングスの最大の矛盾でもあり、難しさだった。
それでも結果は出した“4年連続ファイナル進出”
とはいえ、マイアミのスリーキングスは時代を支配した。4年連続でNBAファイナルに進出し、2度の優勝を果たす。チームケミストリーが成熟するにつれて、レブロンが中心となり、ボッシュがストレッチ4に特化、ウェイドがクラッチのフィニッシャーに役割を絞ることで、徐々にバランスが整った。
とくに2012年〜2013年シーズンの完成度は高かった。レブロンはキャリアベスト級のパフォーマンスを見せ、史上最高クラスの2wayプレーヤーとなっていた。ボッシュはペイントから外に引っ張り出されるセンターを巧みに交わし、ウェイドは衰えを隠しつつも重要な場面で爆発力を見せた。
ただ、3人の才能を100%活かし切れたかというと、それには疑問符が残る。もし別の構成だったら?もしデュオだったら?という仮定も生まれてしまうほど、もったいない部分も確かにあった。
デュオ時代への移行
このスリーキングスの経験が、次の時代に影響を与えた可能性は高い。全盛期のスター3人を揃えるよりも、2人のスーパースター+ロールプレイヤーでチームを構成した方がバランスがいいという考えが主流になったのだ。
事実、その後の優勝チームは“デュオ構成”が多い。
レブロンとADのレイカーズ、ヤニスとミドルトンのバックス、ヨキッチとマレーのナゲッツ、テイタムとブラウンのセルティックス。補完し合う2人を軸にして、周囲に役割の明確な選手を置く。スタッツを最大化するより、チームの機能性を重視した時代への変化だった。
スリーキングスの“過剰さ”が、逆に「やりすぎはマイナス」とNBAに教訓を残したわけだ。
レブロンが語った“もし”のBIG4候補
マイアミ時代、あるインタビューでレブロンに「今のチームにもう1人加えるなら誰?」と質問されたことがあった。彼の答えは興味深かった。
「ワオ!そうだな。クリス・ポールは極めて素晴らしい選手。デリック・ローズも半端ないし、ドワイト・ハワードも驚異的な選手だ。パッと頭に思い浮かんだのは、その3人かなぁ」
このコメントには、レブロンのバスケ観が透けて見える。
まず、クリス・ポール。究極のフロアジェネラルであり、ゲームのコントロールに関しては歴代屈指。ウェイドやレブロンが得点とフィニッシュに集中できる環境を作るには最適だった。
次にデリック・ローズ。2011年MVP、圧倒的なスピードと爆発力を持ったスラッシャーであり、レブロン以上に相手を切り裂く力があった。もし怪我がなければ、歴史が変わっていたとも言われる選手。
最後にドワイト・ハワード。当時のリーグで最も支配力のあるセンターであり、ペイントエリアを支配できる数少ない選手だった。彼がいれば、ボッシュの外回りもさらに活きたはず。
スリーキングスが残したもの
最強の素材を集めれば最高のチームになるわけではない。マイアミのスリーキングスは、そういう幻想を打ち砕きつつも、NBAの歴史の1ページとなった。
そしてレブロンは、その中心にいながらも、「ただのビッグネーム」ではなく、「勝てるバスケ」にこだわっていた。
3人のキングが共闘した4年間は、チームのために自分を削りながら作り上げた、唯一無二の物語だった。
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