NBAポスターコラム138:もしコービーが100点を取れるとしたら?その可能性を信じさせたシーズン…。

NBAポスターコラム
138-オールスター2006 コービー&AI&シャック

138-オールスター2006 コービー&AI&シャック

コービー・ブライアント、81点の衝撃と2006年オールスターの姿

止められない得点マシンとしての姿

2005-06シーズンのコービー・ブライアントは、キャリアでもっとも凄烈な「得点モード」に入っていた。
シーズンを通して平均35.4得点。これはマイケル・ジョーダンが引退して以降、誰も到達していなかった数字だ。しかもフィールドゴール試投数、プレータイム、ボール支配率のすべてが桁違い。オフェンスのすべてが彼を中心に回っていた。

難易度の高いシュートを「普通」に決める力こそ、コービーを特別な存在にしていた。フェイダウェイ、ステップバック、ダブルクラッチ。体勢が崩れていようが、相手が手をかけていようが、彼にとっては大きな障害にはならない。むしろ「不可能」を「可能」に変えることが彼の美学だった。

初めての得点王タイトル

意外にも、このシーズンがコービーにとって初の得点王だった。
1990年代後半から2000年代初頭まで、シャキール・オニールとともにチームを支えていた頃は、個人成績よりもチームの勝利を優先していた。だがシャックがマイアミに去ったあと、レイカーズの攻撃は完全にコービーの肩にかかることになった。

「勝つためには自分が点を取るしかない」――それがこの年のコービーの役割だった。得点王という称号は、その必然の結果として手に入ったものだった。

81得点の夜

2006年1月22日、対ラプターズ戦。NBA史に残る「81点ゲーム」が生まれた。
フィールドゴール28本成功(7本の3Pを含む)、フリースロー18本成功。チーム総得点122点のうち81点をコービー一人で稼いだ。試合の流れとしては、前半はややロサンゼルスがビハインド。そこからコービーが本気になり、第3Q以降に畳みかけるように点を量産していった。

この試合が特別だったのは、ただ「入った」だけではなく、あらゆるパターンで得点を決め続けたこと。ドライブ、ミドル、スリー、フリースロー、速攻。観客はもちろん、相手選手でさえ途中から笑ってしまうほどの無双状態だった。

ウェルト・チェンバレンの「100得点」には届かなかったが、近代バスケットボールでそれに迫る唯一の数字。それがコービーの81点だ。

オールスター2006での存在感

81点の衝撃がまだ冷めやらぬ中で迎えたオールスター2006。
ヒューストンで行われたこの祭典でも、コービーは主役の一人だった。当時はまだ「シャック vs コービー」の余韻があり、レブロンやウェイドといった若手スターが台頭してきたタイミング。だがコービーは「まだ俺がリーグ最強のスコアラーだ」と言わんばかりのプレーを披露した。

彼の得点力はオールスターの舞台でも際立っていたが、同時に「チームを勝たせるためには自分が撃ち続ける必要がある」というレギュラーシーズンでの立場がよく分かる時間でもあった。

100点超えの可能性

当時のコービーを見ていると、条件さえ整えば「100得点」も夢ではないと思わせる力があった。
・あらゆる方法で得点できる
・チームの勝敗が大差で決まらない展開
・他の主力が欠場してボールが集まる状況

実際に81点を取った試合も、この条件の多くが重なっていた。しかもコービーは試合を通して集中力を切らさず、最後まで高い成功率を維持した。100点に届かなかった理由は、単に「試合時間が48分しかない」ことだけだったとすら感じられる。

熾烈な得点王争い

2005-06シーズンは、得点レースが異常なほどハイレベルだった。
コービーの平均35.4得点はもちろん歴史的だが、アレン・アイバーソンが33.0得点、レブロン・ジェームズが31.4得点を記録していた。複数の選手が30点以上を平均するシーズンは珍しく、まさに個人の力量が即効性の武器と呼べる時代だった。

ただ、コービーファンにとっては内心穏やかではなかっただろう。いくら81点を取ろうが、シーズン平均ではアイバーソンが迫り、レブロンも背後にいた。最終的にコービーが得点王を獲得したが、ファンとしては「最後まで抜かれるんじゃないか」とヒヤヒヤしていた。

チーム事情と孤独な戦い

当時のレイカーズは再建途上。
シャックが去り、フィル・ジャクソンが復帰したばかり。ロールプレイヤーの層は薄く、チームの勝敗はコービーの爆発にかかっていた。実際、彼が40点を超えた試合では勝率が高かったが、彼が抑えられると途端に敗北する。

「一人で背負う」――このシーズンのコービーは、まさにその言葉がぴったりだった。孤独で過酷な役割を引き受けながらも、それを「魅せるエンターテインメント」に変えてしまうのが彼のすごさだった。

まとめ:81点は奇跡ではなく必然だった

2006年のコービーは、NBAで最も止められない得点源だった。
彼が81点を取ったのは偶然ではなく、シーズンを通して続けていた圧倒的な得点力の延長線上にある出来事だった。オールスターの舞台でも、得点王争いの中でも、その存在感は際立っていた。

「もし100点を取る選手が現れるなら、それはコービーだ」――そう信じさせるに十分な一年。
このシーズンは、コービーのキャリアの中でも特別な章として語り継がれている。

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