48-トレイシー・マグレディ
アディダスを背負ったスターたち
かつてナイキに対抗するスポーツブランドとして、NBAに数多くの広告塔を抱えていたアディダス。90年代後半から2000年代半ばにかけて、アディダスが展開していた選手層は実に豪華だった。彼らは単なる“履かされていた”存在ではない。それぞれが独自のスタイルと結果を残し、アディダスの価値をコート上で体現していた。今回はその中から、ビラップス、ダンカン、アリーナス、ガーネット、マグレディの5人に焦点を当て、その象徴としてT-Macが放つ“センス”について掘り下げていく。
フィナーレの主役:チャウンシー・ビラップス
まずは“ミスター・ビッグショット”、チャウンシー・ビラップス。2004年、全くのダークホースだったデトロイト・ピストンズを、シャックとコービーのレイカーズを破って優勝に導いた立役者だ。彼の最大の武器は“勝負強さ”と“冷静さ”。アディダスのロゴが入ったシューズで、ビラップスはクラッチタイムに多くのシュートを沈め続けた。
ただし、ビラップスは派手さではない。彼のスタイルは機能的でシンプル。だがその“必要最低限で勝つ”スタイルこそ、アディダスの「機能美」に通じていた。アンダーステートメントな存在感で、ブランドイメージに深みを与えていたと言っていい。
静かなる支配者:ティム・ダンカン
アディダスの顔として、最も長く君臨していたのがティム・ダンカン。彼のように「広告向きではない男」が、長年にわたってアディダスと契約し続けた事実は、ブランドが“本物”を重視していた証だろう。
派手なダンクもスリーもない。だが、勝つために必要なすべてのことを淡々とこなすダンカンのプレイは、「静かな絶対性」に満ちていた。ブランドメッセージとしては地味かもしれない。でも、そこにはアディダスが当時掲げていた“Nothing is Impossible”の哲学が確かに存在していた。
アディダスのシグネチャーモデル、”The Tim Duncan”シリーズは機能性重視で、まさに彼のプレイスタイルをそのまま体現していた。派手じゃなくても、勝てる。それがダンカンであり、アディダスの価値だった。
有言実行型の爆弾:ギルバート・アリーナス
次に語らねばならないのは、“エージェントゼロ”ことギルバート・アリーナス。NBAでもっともエンタメ性と爆発力を併せ持ったガードの1人であり、アディダスとの関係も非常にユニークだった。
アリーナスは2006年からシグネチャーモデル「Gil Zero」を展開。そこには彼の“何者でもなかった自分が、スターになる”という意志が込められていた。ハイスコアゲーム連発、3連続ブザービーター、ゴール前でのダブルクラッチ――“やってのける”アティテュードこそが、アディダスの「限界を超える」メッセージと合致していた。
一方で、アリーナスはシューズに好きな文字を刻んだり、わざと左右で異なるカラーを履いたりと、完全に自己表現の道具としてアディダスを使いこなしていた。チームプレーより個の表現。その姿勢もまた、“アディダスらしさ”の別側面だった。
全能の野獣:ケビン・ガーネット
ケビン・ガーネットは、まさに万能。ディフェンス、パス、スコアリング、リーダーシップ、ハードワーク、激情…。すべての要素をハイレベルで持ち合わせたプレイヤーで、まるで「機能全部乗せ」のシューズのような存在だった。
ガーネットは当初ナイキだったが、2000年代にはアディダスの広告塔へと移籍。シグネチャーモデル「KGシリーズ」は毎年更新され、彼の進化と共にバージョンアップしていった。
特に面白いのは、KGの“叫ぶ”イメージと、アディダスの静かなビジュアル戦略が絶妙にバランスを取っていた点。爆発的なエネルギーを持ちながら、戦術的には理詰めで動ける――そんなガーネットの二面性を、アディダスのクリーンでスタイリッシュなイメージがうまく引き立てていた。
そして、T-Macというセンスの象徴
最後に触れたいのが、この中でも“突出したセンス”を感じさせる男――トレイシー・マグレディ。アディダスが育て上げた広告塔の中でも、T-Macは圧倒的なビジュアルインパクトを持っていた。
彼のシグネチャー「T-MACシリーズ」は、NBAでもトップクラスの人気を誇り、第1作から第5作まで続いた。当時の中高生がこぞって履いたモデルであり、色のバリエーションやシャープなデザインは、コート上で目を引いた。
ただ、T-Macが特別だったのはそこだけじゃない。
空中での滞空時間、ボールの扱い、ジャンパーの美しさ、ステップバックの滑らかさ…。いずれも、“見ただけでうまさが伝わる”選手だった。スラムダンクで、三井が沢北を見て「こいつが間違いなくこのチームで一番センスがある」と言ったあの感覚。まさにそれを体現していたのがT-Macだった。
アリウープのキャッチにしても、普通の選手なら“飛んでる”という印象を与えるのに対し、T-Macは“浮いてる”ように見えた。空間の使い方、バランスの取り方、シュートへの移行のスムーズさ。すべてが芸術的。センスのかたまり。それがT-Macという存在だった。
センスがブランドを象徴する時代
アディダスは「可能性を信じるブランド」だった。勝ち方は問わない。むしろ、独自の勝ち方をしている選手に光を当てる。それがビラップスであり、ダンカンであり、アリーナスであり、ガーネットだった。
しかし、その中でもT-Macだけは違っていた。彼は“勝ち方”より“見せ方”で人々を魅了した。アディダスにおいて、“スタイルが機能を超える”瞬間を初めてもたらした選手だった。
たとえ怪我で頂点を逃したとしても、T-Macのセンスは今も語り継がれる。あの時代、アディダスのロゴが最も誇らしげに見えたのは、T-Macが空中を舞っていた瞬間だった。
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