NBAポスターコラム783:王朝崩壊と孤高のスコアラー…コービーが流した涙の意味とは…。

NBAポスターコラム
783-コービー・ブライアント

783-コービー・ブライアント

王者レイカーズの終焉とコービーの孤軍奮闘

2002-03シーズンの幕開け――王朝の綻び

3連覇を成し遂げたロサンゼルス・レイカーズは、シャキール・オニールとコービー・ブライアントという2大エースを擁し、1960年代のボストン・セルティックス以来となる4連覇を狙っていた。だが、その野望は開幕前から暗雲が立ち込めていた。シャックが足の手術を理由にシーズン前半を欠場し、チームの出遅れが決定的に。そして、コービーは孤立を深めていく。

コービーの爆発――個人の成績とチームの歪み

このシーズンのコービーは自己最高のシーズンを迎えていた。シーズン平均得点は初めて30点台に到達し、リーグ2位の成績を記録。特に2003年2月の9試合連続40点以上、13試合連続35点以上の爆発は、歴史に残るパフォーマンスだった。1月7日のスーパーソニックス戦では、1試合での3ポイント成功数(当時)NBA記録となる12本を沈め、スコアリングマシンとしての才能を見せつけた。

だが、個人の成功はチームの成功に直結しなかった。シャック不在の前半戦、コービーは試合を支配するも、レイカーズの勝率は伸びず、チームメイトとの関係も悪化。特にパスを回さず1人で決めようとするプレースタイルが、フィル・ジャクソンの戦術と衝突し、チーム内に不協和音を生んだ。

チーム内の対立――コービー vs チームメイト & ジャクソン

コービーのフラストレーションは爆発寸前だった。試合中にチームメイトへ不満を露わにし、ロッカールームでは衝突が頻発。フィル・ジャクソンとも対立し、「チームでプレーしろ」と言うジャクソンの指示に対し、コービーは「自分の力で勝てる」と確信していた。

シャックが復帰しても状況は改善せず、コービーとシャックの関係は険悪に。かつてはコンビとして機能していた2人だが、互いに主導権を争うようになり、レイカーズの王朝は徐々に崩壊へ向かっていった。

スパーズとの激突――レイカーズ王朝の終焉

プレーオフでは、ウェスタン・カンファレンス準決勝でサンアントニオ・スパーズと対戦。ティム・ダンカン率いるスパーズは鉄壁のディフェンスと組織的なバスケットでレイカーズを圧倒。シリーズ第6戦、本拠地での敗戦は象徴的だった。試合終盤、レイカーズは28点差をつけられるという屈辱的なエンディングを迎え、コービーとシャックはベンチから無言で見つめるしかなかった。

涙の敗戦と決意――「二度とこんな気分にはなりたくない」

試合終了のブザーが鳴ると、コービーは大粒の涙を流していた。この敗戦が彼の心に深い傷を刻んだことは間違いない。しかし、コービーはすでに次を見据えていた。

「ジムへ行って、来季の準備を今夜から始める」

その言葉通り、コービーは敗戦の夜から練習に向かった。この悔しさが、後の“ブラックマンバ”へと進化する原動力となる。

コービー中心のチームだったら?――もしもの世界

このシーズンのコービーを、完全に彼を中心に据えたチームで見たかったという声は少なくない。シャックとの関係に苦しみながらも、自己の限界を超えたプレーを続けた彼が、もし自由にチームを指揮していたらどうなっていただろうか?

実際、2005-06シーズンには個人スタッツがさらに爆発し、81得点ゲームを達成するなど、スコアラーとしてのピークを迎える。しかし、チームとしての成功を手にするには、まだ時間が必要だった。

2002-03シーズンは、レイカーズ王朝崩壊の始まりであり、レイカーズが「シャック中心のチーム」であることを、皮肉にも孤軍奮闘により再確認させられ、またコービーが真のリーダーへと進化するための試練の年だった。そして、この苦悩が彼をより強い選手へと成長させることになる。

・NBAポスター絵画展がコチラ↓



・手持ちのお金を守りながら着実に増やす投資術がコチラ↓

資産1000万円達成の8つのコツがコチラ↓
初心者向け!資産1000万円達成術8ステップ簡単解説

資産1000万円達成シンプル投資術がコチラ↓
資産1000万円を達成した私のシンプル投資法

資産1000万円達成のおススメ書籍がコチラ↓
資産1000万達成の為に読むべき本

コメント