728-マイケル・ジョーダン
当時、イケイケのウォリアーズの主力を蹴ちらしたジョーダン
メジャーリーグのストライキとジョーダンの決断
1994年、マイケル・ジョーダンは父親の死を契機にNBAを引退し、メジャーリーグ挑戦の道を選んだ。しかし、1995年にメジャーリーグはストライキに突入し、シーズンは混乱状態に陥る。野球の試合が中断する中、ジョーダンは再びバスケットボールの世界に目を向け始めた。そんな彼の復帰の兆しが明らかになったのは、1995年3月、ゴールデンステイト・ウォリアーズとの極秘練習によるものだった。
ウォリアーズとの極秘練習
その日、ウォリアーズのアシスタントコーチ、ロッド・ヒギンズの電話が鳴った。電話の主はなんとジョーダンだった。ヒギンズはこの時のやり取りを次のように語っている。「マイケルから『君たちと一緒に練習してもいいか?』と聞かれた。正直、できるとは思わなかった。でもドン・ネルソン(ウォリアーズのヘッドコーチ)に連絡を取ると、彼の返事は『もちろん(Hell Yeah!)』だった」。
こうしてジョーダンはウォリアーズの練習場に姿を現した。当時のウォリアーズにはラトレル・スプリーウェルやティム・ハーダウェイといったリーグ屈指の選手が在籍しており、チームは若さと活力に満ちていた。そんな中、引退中のジョーダンが主力選手たちに挑むことになる。
ジョーダン vs スプリーウェル
練習の中で、ジョーダンは5対5のスクリメージ(紅白戦)を提案。彼は実戦でのプレー機会が少ない控え選手を自らのチームに選び、相手チームにはスプリーウェルやハーダウェイといった主力選手が揃った。特にスプリーウェルはこの時、プロ3年目ながらすでにオールスターに選出され、前年には平均21.0点を記録し、オールNBAファーストチームに選ばれるなど、リーグのトップシューティングガードの一人として名を馳せていた。
そんなスプリーウェルに対し、ジョーダンは容赦なかった。ヒギンズは「マイケルはハーダウェイと、とりわけスプリーウェルとの対戦を強く望んでいた。彼の目的はスプリーウェルとティムを蹴散らし、彼らにトラッシュトークをぶちかますことだった」と語っている。
主力選手を蹴散らしたジョーダン
スクリメージが始まると、ジョーダンのプレーは圧巻だった。ティム・ハーダウェイはこの時の様子を次のように振り返る。「ぶっちゃけ、彼は俺たちをコテンパンにやり込めた。文字通り叩きのめされたよ。その時、俺は思ったんだ。彼はもう覚悟を決めている、マジで戻ってくるつもりだ、ってね」。
ジョーダンは約1時間半プレーし続けたが、疲れを見せるどころか「1日中でもプレーできる」と言い放ったという。そのプレーぶりは、引退前と何ら変わらず、むしろさらに鋭さを増しているようにさえ見えた。ウォリアーズの主力組は、彼の存在感と技術に完全に圧倒されてしまった。
復帰の決意を固めたジョーダン
この極秘練習は、ジョーダン自身の復帰への決意をさらに強固なものにしただけでなく、リーグ全体に「マイケル・ジョーダンはまだ健在である」というメッセージを送り込むものだった。ハーダウェイは「彼はまだ‘マイケル・ジョーダン’であることを俺たちに知らしめた」と語っている。
練習を終えたジョーダンは、次のステップとしてブルズへの復帰を模索し始めた。そして1995年3月18日、「I’m back(私は戻った)」というたった二言の声明を発表し、NBAへの復帰を正式に表明する。
復帰後のジョーダン
ジョーダンの復帰後、ブルズは急速に勢いを取り戻し、1995-96シーズンにはNBA史上最高勝率(当時)である72勝を記録。その後もブルズは三連覇を達成し、ジョーダンはその偉大さをさらに確固たるものにした。
このウォリアーズとの極秘練習は、ジョーダンの伝説を語る上で欠かせないエピソードとなっている。当時のトップ選手たちを蹴散らし、全盛期と変わらない実力を示した彼の姿は、まさに「バスケットボールの神様」と呼ばれるにふさわしいものだった。
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