NBAポスターコラム719:「超人」から「完璧」へ――NBA得点王たちが織り成す進化の物語とは…。

NBAポスターコラム
719-マイケル・ジョーダン

719-マイケル・ジョーダン

得点王の系譜:60年代のNBA、超人時代の幕開け

ウィルト・チェンバレン:1試合100点男の伝説

1960年代のNBA得点王の戦いを語る上で、ウィルト・チェンバレンは絶対に外せない存在だ。彼は1962年3月2日の伝説的な「1試合100点」を記録した試合で、バスケットボール史に永遠にその名を刻んだ。チェンバレンのフィジカルの圧倒的な優位性は、現代の基準でも異次元だ。7フィート1インチ(約216cm)の高さに加え、優れた跳躍力、パワー、そしてクイックネスを持ち、どんなディフェンダーも彼を止めることは不可能だった。

チェンバレンは1960年代に4度の得点王に輝き、その得点力は異次元だった。1961-62シーズンには驚異的な平均50.4点を記録した。しかし、チェンバレンは単なる得点マシーンではなかった。リバウンドでも無類の強さを誇り、彼のプレーは常に支配的だった。チェンバレンの存在があまりにも圧倒的だったので、NBAは彼に対抗するためにルール変更をする程だった。

ジェリー・ウエスト:『ミスター・クラッチ』の正確無比なシュート

次に挙げるべきは、ジェリー・ウエストだ。 ウエストは「ミスター・クラッチ」の異名で知られるその名の通り、勝負どころでの強さが魅力の選手だった。圧倒的なフィジカルではなく、技術と精神力に支えられていた。ウエストは正確無比なジャンプシュートとクラッチタイムでの無類の強さで、多くの試合を勝利に導いた。

特に印象的なのは、1969年のNBAファイナルで、敗戦チームながらファイナルMVPを受賞したことだ。ウエストはキャリア25,192得点を記録し、得点王争いでは常に上位に名を連ねていた。 彼のプレーは技術の粋を集めたものであり、時代を超えて称賛されている。

オスカー・ロバートソン:『ビッグ・O』のオールラウンドな支配力

オスカー・ロバートソン、通称「ビッグ・O」は、60年代のNBA得点王ランキングの常連でありながら、彼の真価はそのオールラウンドなプレーにあった。平均トリプルダブルを初めて達成した選手として知られている。

6フィート5インチ(約196cm)というサイズはガードとしては非常に大きく、ディフェンダーにとっては対処が難しかった。視野の広さも持ち合わせ、チームメイトをゲームに絡ませ、ゲームを支配する様子は圧巻だった。

60年代:超人の時代

チェンバレン、ウエスト、ロバートソンの3人は、60年代のNBA得点王争いをほぼ独占していた。 彼らのプレースタイルはそれぞれ別々であったが、いずれも超人的な才能を持ち、その得点力は勝利を手繰り寄せるには必要なものだった。チェンバレンのような圧倒的なサイズと身体能力を併せ持った選手と、ウエストやロバートソンのような技術やバスケットIQで勝負する選手が同時代に存在したことで、NBAは多様な魅力に満ち溢れていた。

しかし、この超人の時代も永遠には続かない。70年代に入って、カリーム・アブドゥル・ジャバーがそのバトンを引き継ぐことになる。

突出した才能:70年代のNBA、カリーム・アブドゥル・ジャバーの存在

70年代に突入すると、得点王争いの主役はカリーム・アブドゥル・ジャバーへと移行した。彼は「スカイ・フック」という、ほぼブロック不可能な独自のシュートを武器に、リーグを支配した。ミルウォーキー・バックスで優勝を果たし、その後もレイカーズで数々の栄光を手にするジャバーは、60年代の「超人伝説」を引き継いだ形で、その得点力を誇示し続けた。

ジャバーは6度のMVPを獲得し、キャリア通算38,387得点というNBA史上最高得点記録(当時)を打ち立てた。この記録は2023年にレブロン・ジェームズによって更新されるまで、長きにわたり不動のものだった。チェンバレンと同様、圧倒的な高さに加え、スムーズで優雅なプレーが特徴だった。彼はサイズと技術のバランスが完璧に取れた選手であり、「超人」の系譜を受け継ぐ存在した。

しかし、70年代終盤に入って、NBAのスタイルは次第に変化し始める。オールラウンドなプレーヤーが台頭し、個人の得点力よりもチーム全体のバスケットボールが重視されるようになる。

新時代の80年代:ラリー・バードとマジック・ジョンソンの登場

80年代に突入すると、NBAは新たな時代を迎える。 ラリー・バードとマジック・ジョンソンという、2人のオールラウンド・プレイヤーがリーグの顔となった。 彼らのスタイルは、それまでの「超人」の時代、チェンバレンやジャバーのような得点力特化型の選手ではなく、パス、リバウンド、ディフェンスといった総合的なスキルでゲームをコントロールするタイプだった。

ラリー・バードはボストン・セルティックスで、マジック・ジョンソンはロサンゼルス・レイカーズでそれぞれチームを優勝に導き、お互いのライバル関係が80年代のNBAを象徴するものとなった。全体を俯瞰し、チームを勝利に導いたプレーメーカーだった。 この時代は「超人」ではなく、「オールラウンド・ プレーヤーの時代」に突入したともいえるだろう。

そして、80年代後半に登場したのがマイケル・ジョーダンだ。 彼はウエストやロバートソンのようなクラッチシューターであり、バードやマジックのようなオールラウンド・プレーヤーでもあった。

完璧な選手の誕生:マイケル・ジョーダンによる得点王の独占状態

1980年代後半から1990年代にかけて、NBAの得点王争いは完全にマイケル・ジョーダンによって独占された。 1986-87シーズンから1993年の引退までの7年間、ジョーダンは毎シーズン得点王のタイトルを獲得した。

ジョーダンの最大の強みは、誰も止められない得点力だ。彼の爆発的なドライブ、どの方向にも行けるポストムーブ、ミッドレンジのジャンプシュート、そして3Pに至るまでオフェンスのオプションは多彩であり、自由自在だ。また、最も緊張感が高まる試合終盤やプレーオフで、さらに一段階ギアを上げてくる。

1993年、絶頂期での引退

1993年、ジョーダンが突然NBAからの引退を発表したとき、リーグ全体、そしてアメリカ中が驚愕した。彼は3ピートを達成し、キャリアの絶頂期にあったが、父親の死を受けての決断だった。結果、得点王争いも一時的に新たな場面を迎える。 94-95シーズンにはデビッド・ロビンソンやシャキール・オニールといったビッグマンたちが得点王争いを繰り広げたが、ジョーダン不在の印象は拭えなかった。

この時代、NBAはジョーダンのいない「空白の時代」として語られることが多く、こと得点王の争いにおいて「絶対王者」がいないことが、どこか物足りなさを感じたのも事実だった。

“I’m Back.”:NBA復帰のジョーダン

1995年3月、ジョーダンは“I’m Back.”というシンプルなメッセージでNBAに復帰。

この復活劇は、一人のスポーツ選手の復帰に留まらず、歴史的な物語の一部となった。復帰したシーズンはコンディションが整わず、ジョーダンらしからぬプレーも随所に見られたが、翌シーズンからは完全復活。かつての勝負強さも取り戻し、再び3ピートを達成。その間の得点王のタイトルも獲得し、得点に関して「絶対王者」を植え付けた。キャリアに関しては32,292点を記録し、10回が得点王という圧倒的な数字は、NBA史上誰とも比較できないほどの偉業だ。「93年に一時引退していなければ、得点王の回数は12回になっていただろう」と、いうのもない話ではない。またジョーダンは得点だけでなく、守備力、リーダーシップ、メンタルの強さ、カリスマ性、すべてにおいて高水準で安定しており、今でも天衣無縫の存在だ。

まとめ:超人の進歩、進化、そして完璧が誕生した

得点を積み上げるバスケットという競技でNBAの得点王たちがそれぞれの時代を象徴した存在だった。ウィルト・チェンバレンやオスカー・ロバートソンのような「超人」たちが最初に道を切り開き、その仕上げがマイケル・ジョーダンだったわけだが、彼こそが超人を超えた「完璧」な選手だった。

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