142-Yuta・Tabuse
田臥勇太、NBA挑戦3年目のリアル
序章:異国の地での挑戦
2000年代前半、日本人初のNBAプレーヤーとして田臥勇太が名を刻んだ。小柄なガードが巨大なアメリカの舞台でどこまで通用するのか、多くのファンが注目したが、彼の歩みは決して順風満帆ではなかった。今回は、3年目のキャンプでの姿を軸に「どんな成長を遂げ、何が課題だったのか」を深掘りしていく。
キャンプでの立ち位置
当時、チームの若きPGショーン・リビングストンはケガで離脱。さらに中堅のフランク・ウィリアムスも偏頭痛で解雇されたことで、田臥にはプレータイムが巡ってきた。
キャンプではマイク・ダンリービーHCのシステムを徹底的に吸収。フォーメーションを頭に叩き込み、コーチの細かい指示を忠実に実行する姿勢を見せていた。
「ショーン(リビングストン)がケガをしている分、ずっとサードチームでポイントガード(PG)としてプレーしている。過去2年に比べると自分のプレーができているし、自信を持ってやれている部分もあれば、はっきりと課題が見えた部分もある」。
5対5では、ベテランのサム・カセールや新人ダニエル・ユーイングと対峙。ボールをゆっくりと運び、チームメイトに大声で指示を飛ばす姿は、まさにフロアリーダーそのものだった。
「堅実」の評価とその限界
ダンリービーHCは「ユータは堅実だ」と評価。
「フォーメーションは全部頭に入っているので特に問題はないですけどね。みんなが僕のコールを待っているし、その声ひとつでオフェンスのパターンが決まる。的確に状況を判断して、大きな声でコールしないといけない」。
しかし、NBAの現実は残酷だ。「堅実」というのはうまい言葉で、その程度の評価では開幕ロースターに残れないことは田臥本人もわかっていた。
ナッシュのように、セットオフェンスが止められた時に即座に自らクリエイトし、チームを引っ張る力が求められる。田臥自身も、その差を痛感していた。
プッシュと速攻で存在感
それでも田臥には強みがあった。速攻を仕掛けるプッシュの技術だ。
「走れる選手もかなりいますし、自分が速い展開に持っていけばそういうプレーになる。午前中は走る練習も多かったし、基本はまず走って、無理ならセットオフェンスですから。特にコーチはコーリー・マゲッティ(前シーズンのチーム得点王)が前にいたらパスを出せという指示でした。そういった面では自分のスタイルも出せている感じがあるんです」と本人も語るように、ボールを押し上げるスピードと判断力は、NBA先発クラスにも引けを取らない。
コーリー・マゲッティのようなスコアラーにボールを供給する場面では、そのスタイルがチームの武器になっていた。
守備での武器と弱点
守備面でもオールコートのプレッシャーなら田臥に分がある。クイックネスとスタミナを生かし、相手PGに食らいつく姿は嫌がられる存在だった。
ただし課題はハーフコート。サイズ不足の影響が出やすく、ゴール周辺での守りや、相手の大型ガードとのマッチアップでは苦戦する場面も多かった。
成長の実感
3年目を迎えた田臥は、自らの成長をこう語っている。
「やっていて、身長のハンディ、サイズの差はあまり感じなくなってきた。慣れていくのが早い。それとカットインしてパスをさばいたり、 空いたところでシュートを打つことがうまくできるようになっている。単純なことですけど、そういうのが自信になっている」。
異国の地で戦う小柄なガードにとって、この「自信」の積み重ねがどれほど大きかったかは想像に難くない。
NBAの現実と田臥の挑戦
田臥は「堅実さ」と「速攻での推進力」という武器を手にしつつも、NBAでローテーションに定着するにはもう一段階のインパクトが必要だった。
ナッシュのように自ら得点を創り出す力、アイバーソンのように相手を切り裂く破壊力──それがなければ、首脳陣の印象を強烈に残すことはできない。
ただし「石の上にも三年」という言葉どおり、3年目の田臥は確実に進化していた。サイズのハンデを越え、プレーの幅を広げ、戦う準備を整えていたのだ。
結び:身長170cm台の偉業
今振り返れば、田臥の挑戦は身長以上に「環境」との戦いだった。異国の地で、常にリストラのプレッシャーに晒されながらも、自らの武器を磨き続けた。
開幕ロースターの壁、サイズの壁、スターとの差──数々のハードルを前にしても、彼は逃げなかった。
170cm台のガードがNBAに挑んだという事実は、日本バスケの歴史に残る偉業だ。田臥勇太のキャリアは「夢を見て挑戦することの価値」を証明した物語である。
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