76-コービーvsKG
コービー・ブライアントとケビン・ガーネット──2人の高卒戦士がNBAファイナルで激突するまで
高卒ルーキーとしての出発点
1995年にケビン・ガーネットが、1996年にコービー・ブライアントが、それぞれ高卒でNBA入りした。この2人がNBAの“高卒解禁”の象徴であり、後にトレイシー・マグレディ、ルブロン・ジェームズ、ドワイト・ハワードなど、数多くのスターたちが高校から直接プロ入りする道を選ぶきっかけとなった。
当時の彼らはどちらも細身で、NBAの舞台で戦うには線が細すぎるとも言われた。しかしそれを跳ね返すように、タフネス、向上心、そしてなにより“勝ちたい”という強いメンタリティでキャリアを築きあげていった。
そんな2人がNBAファイナルで激突するのは、キャリア中盤を過ぎてからのこと。そこに至るまでの長い道のりと、そこで繰り広げられた死闘こそ、NBA史に残る名場面のひとつだ。
「レギュラーシーズンはレギュラーシーズン」
ガーネットがあるインタビューで語った言葉がある。
「コービーとの対戦は常にエキサイティングだ。
だからといってレギュラーシーズンの試合ではそれ以上に特別な意味はない。
舞台のファイナルなら話は違ってくるけどね。」
この言葉には、ガーネットのプロフェッショナルとしての冷静さがにじみ出ている。どんなに因縁があろうと、舞台が違えば意味合いも変わる。ファイナルこそが“すべて”だと彼は知っていた。
その「すべての舞台」で2人は2度、激突する。
2008年ファイナル──セルティックスの圧勝
最初の激突は、2007-08シーズンのNBAファイナル。ガーネットはティム・ダンカンらとの比較において「勝てないスター」というレッテルを貼られていた。コービーもシャック離脱後、勝ちきれないエースとして葛藤していた時期だった。
そんな2人が、それぞれのキャリアにおける“証明の時”として迎えたファイナルだった。
結果はセルティックスの圧勝。シリーズ6戦で決着し、最終戦はレイカーズが39点差で大敗という屈辱的な幕切れ。
レイ・アレン、ポール・ピアース、ケビン・ガーネットというビッグ3が結成1年目で結果を出し、KGは念願のリングを手にした。
「Anything is possible!!!」
KGの絶叫は、長年リングに届かなかったスターが放った魂の叫びだった。
コービーはその年のMVPだったが、ファイナルでは完敗。再び「やはりシャックがいなければ勝てないのか?」という声が囁かれることになる。
2010年ファイナル──レイカーズの逆襲と“死闘のゲーム7”
だが、コービーが黙っているはずがない。
2009年にはオーランド・マジックを下してシャック抜きで初のファイナル制覇。勢いそのままに、2010年もファイナルへと駒を進める。そして相手は再び、ケビン・ガーネット率いるセルティックス。
このシリーズは、まさに一進一退の大接戦だった。
そして語り草となるのが、「ゲーム7」。
第7戦は驚くほどに低得点のロースコア。両チームとも40%を下回るシュート成功率。華麗な3ポイントもなければ、速攻で走りまくる派手さもない。あるのは、ただただ肉体と精神をぶつけあうような泥臭い戦いだった。
・最終スコア:レイカーズ83 – 79セルティックス
・コービー:23得点(シュート成功率は31%)、15リバウンド
・ガソル:19得点、18リバウンド、2ブロック
・KG:17得点、3リバウンド(膝のコンディションは万全ではなかった)
コービーは決して調子が良くなかった。だが、あれほど“勝ち”にこだわったプレイヤーもいない。終盤、執念のリバウンド、ディフェンス、そしてフリースロー。
レイカーズがリードを守り切り、ついにセルティックスへのリベンジを果たす。
試合後、KGはロッカールームで静かにタオルを被っていた。あの激戦を戦った男の背中は、敗者のそれでありながら、どこか美しくもあった。
もし、共闘していたら──幻の“コービー&KG”
そんな2人だが、実は“共闘”の可能性があったことを、ガーネット自身が引退後に明かしている。
2007年オフ、ミネソタからのトレードが決まる前、KGはレイカーズへの移籍を視野に入れていた。もちろん、そこには「コービーと一緒にプレーする」ことが前提としてあった。
「コービーに連絡した。でも返事はなかった。」
この話には多くのNBAファンが衝撃を受けた。もしあの時、コービーが電話に出ていたら?
レイカーズはコービーとKGという、リーグ最高のスコアラーとディフェンダーを同時に抱えることになっていた。そして当時の戦力を考えれば、そこに加わるガソルやオドムとの布陣で、数年にわたってリーグを支配していたかもしれない。
逆に言えば、セルティックスのビッグ3結成もなければ、2008年の優勝もなかった可能性がある。
バスケットボールの歴史は、「タイミング」と「決断」の連続だ。そして時に、その一通の“返事のない電話”が未来を変えることもある。
締めくくりに:宿命のライバルとしての美学
最終的に、コービーとガーネットが同じチームでプレーすることはなかった。
だが、それがよかったのかもしれない。
レイカーズとセルティックスという永遠のライバルチームにおいて、互いのプライドとキャリアを賭けて2度ファイナルで激突した姿こそ、2人がNBAに残した最高の“物語”だったのだ。
もしもう一度だけ、あのゲーム7の緊張感を味わえるなら。そんな夢想をしてしまうほど、あの一戦は熱く、重く、そして美しかった、、、。
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