NBAポスターコラム71:“トレード要求”から始まったシーズン、「開幕戦でブーイングされた男」が、唯一のMVPを手にした理由とは、、、。

NBAポスターコラム

71-コービー・ブライアント

唯一無二のMVPシーズン

トレード要求とブーイングからのスタート

2007年夏、レイカーズは激震に包まれていた。きっかけは、コービー・ブライアントが自身のトレードを要求したこと。シャック移籍以降、思うように勝てず、フロントのチーム作りにも不満を持っていたコービーは、公開インタビューで怒りをあらわにし、移籍の希望を口にした。

この発言はレイカーズファンの心を深く傷つけた。ロサンゼルスのアイコンであるはずの男が「このチームじゃ勝てない」と明言したことで、愛情は一時的に失望に変わった。開幕戦、ホームのステイプルズ・センターには異様な空気が漂っていた。コービーに向けられたのは、まさかの大ブーイング。だが、コービーはその声にも動じなかった。むしろ、闘志を燃やしていた。

好スタートと、パウ・ガソル獲得

開幕からチームは好調だった。最初の10試合で7勝3敗と、昨季までの低迷とは明らかに違う滑り出し。若きアンドリュー・バイナムの成長、ラマー・オドムの安定感、そしてデレク・フィッシャーの復帰など、戦力のバランスが整い始めていた。

そして、シーズンの分岐点となるビッグトレードが発生する。2月、レイカーズはグリズリーズからパウ・ガソルを獲得。この瞬間、レイカーズは一気に“優勝候補”へと変貌を遂げた。

パウ・ガソルはヨーロッパ出身選手としても屈指の技巧派ビッグマン。インサイドでもアウトサイドでも得点できる万能さ、そしてパスセンスの高さが、コービーのプレースタイルと驚くほどマッチした。ガソル加入後のレイカーズは、もはや手がつけられないほどの完成度を誇っていた。

MVPにふさわしいリーダーシップ

シーズンを通して、コービーのプレーは神がかっていた。得点だけでなく、リーダーシップ、守備、ゲームメーク、すべての面で進化を見せていた。

平均28.3得点、6.3リバウンド、5.4アシスト。スタッツ自体はこれまでのキャリアと比べて特別に突出しているわけではなかったが、何よりも「勝たせるエース」としての価値が問われたシーズンだった。

この年のレイカーズは57勝25敗でウエスタン・カンファレンスの1位を獲得。チーム成績の向上、ガソルとの相乗効果、そしてシーズンを通じての安定したパフォーマンスが評価され、コービーはついにキャリア12年目にして初の、そして唯一のシーズンMVPを受賞する。

「あの時のブーイングは、今じゃ歓声に変わった」

開幕戦のブーイングから一転、ファンの視線は称賛へと変わった。逆風の中で自らの力でチームを再建し、頂点に導く過程を見たファンは、再びコービーを“キング・オブ・ロサンゼルス”として称え始めた。

MVP受賞のスピーチで、コービーは言葉少なに感謝を述べただけだったが、その背中がすべてを語っていた。「去ることもできた。だが、残って正解だった」とでも言いたげな、誇らしげな表情が印象的だった。


3年連続ファイナル進出への道

2007-08シーズン:ファイナルでボストンに屈する

プレーオフも、レイカーズは快進撃を続けた。1回戦でナゲッツを4勝0敗で一蹴、2回戦ではジャズを破り、カンファレンスファイナルではダンカン擁するスパーズも4勝1敗で撃破。ついにNBAファイナルの舞台に帰ってきた。

相手は宿敵ボストン・セルティックス。ビッグ3(ガーネット、ピアース、レイ・アレン)を擁する伝統の一戦“レイカーズvsセルティックス”の復活だった。

しかし、このシリーズでレイカーズは苦しむ。第4戦の歴史的な大逆転負け(最大24点リードをひっくり返された)は、チームの士気に大きなダメージを与えた。結局、シリーズは2勝4敗で敗北。

だが、コービーは諦めていなかった。「この悔しさは、必ず力になる」。そう口にした彼の目には、すでに翌年のファイナルが見えていた。


2008-09シーズン:オーランドを粉砕し、悲願の“シャック抜き優勝”

翌08-09シーズン、レイカーズは開幕から勢いそのままに快進撃を続けた。バイナムの負傷離脱をガソルがカバーし、オドムが再び万能戦士として存在感を発揮。

この年もウエストを制し、ファイナルへと進出。相手はドワイト・ハワード擁するオーランド・マジック。ガソルとバイナム、オドムのインサイド陣がハワードを執拗にマークし、外からはコービーが容赦ない攻撃を浴びせた。

ファイナルは4勝1敗でレイカーズの圧勝。コービーはついに「シャックなし」での優勝を達成する。ファイナルMVPにも選出され、自らの影にずっと付きまとっていた「シャックの存在」という十字架を、自力で振り払った。


2009-10:リベンジ完了、宿敵ボストンを撃破

さらに翌09-10シーズン。コービーは満身創痍だった。指を骨折し、膝も痛めながらプレーを続けていたが、闘志は衰えていなかった。

ファイナルで再びセルティックスと激突。第7戦までもつれる死闘となったが、最後はレイカーズが勝利し、コービーは自身5度目の優勝を手にした。

試合後、コービーは言った。「正直、ボストンに勝てたことが一番嬉しい」。宿敵へのリベンジを果たしたその瞬間、レイカーズのエースとして、真の意味でレジェンドの仲間入りを果たした。


成長の証としての苦悩と歓喜

「全ての困難は、成長の機会だ」

コービーが好んで口にしていた言葉がある。

「全てのネガティブなプレッシャーや困難は、私の成長のための大切な機会だ。」

まさにその言葉を体現した3年間だった。ファンのブーイング、セルティックスに喫した屈辱、怪我に耐えて掴んだ栄光。それらすべてが、彼のバスケット人生にとって“かけがえのない糧”となった。


あとがき:レガシーは色褪せない

コービー・ブライアントは1度しかMVPを受賞していない。しかし、そのシーズンと、その後のファイナル3年連続進出と2度の優勝こそが、彼のキャリアの“完成形”だった。

数字やタイトル以上に、ファンの心に刻まれたのは、「苦難を乗り越え、頂点に立つ姿勢」だった。

MVPとは何か。チームを勝たせる力。逆境でも逃げずに立ち向かう姿勢。若手に示す背中。コービーはそれらを、12年目のシーズンに一つずつ証明してみせた。

だからこそ、たった一度のMVPが、これほどまでに重い意味を持つのだ。

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