10-ラッセル・ウエストブルック
ロケッツのウェストブルックは失敗だったのか、、、 ─ 見えてきた“変化”とその先にあったもの。
“再会”と“変化”のシーズン、期待の交差点
2019年のオフシーズン、NBAに激震が走った。ラッセル・ウェストブルックがサンダーからヒューストン・ロケッツへトレード。これだけでも十分インパクトがあったが、何より注目されたのは“再会”だった。
ウェストブルックとジェームズ・ハーデン。2009年と2012年、それぞれドラフトでオクラホマシティ・サンダーに入団し、ケビン・デュラントを含めた“若きビッグ3”として一時代を築いたコンビ。ファイナルにも進出したが、ハーデンのトレードでその夢は潰えた。それから7年、彼らは再び同じユニフォームに袖を通すことになった。
ただし、状況はまったく違っていた。
あの頃のハーデンはシックスマン。今はリーグMVPを獲った“ハーデンのチーム”だ。ウェストブルックはサンダーの魂として3年連続トリプルダブルを達成し、絶対的な主役だった。
そんな二人の“再結成”は、夢のように見えて、危うさも孕んでいた。
システムの違和感、“俺たち”のバスケはどこに?
ロケッツは当時、超極端なスモールボールを突き詰めていた。ペースを上げ、3Pを打ちまくる。マイク・ダントーニとGMダリル・モーリーの哲学が詰まった構成だった。
ハーデンにとっては理想的だった。ボールを保持し、1on1でディフェンスを崩し、パスかシュート。彼はそれで毎年MVP級の成績を残し続けてきた。
ウェストブルックはどうか?
彼もボールを持ってこそ輝くタイプ。スペースを使ってドライブし、ミドルで跳ねて、ペイントに突っ込むスタイル。3Pは得意じゃない。オフボールの動きも得意とは言いがたい。
このシステムの中で、彼のスタイルは浮いた。特に序盤はぎこちなく、迷いの多いプレーが続いた。
「ウェストブルックはロケッツに合わない」
「これはハーデンのチームだ」
そんな声が、メディアからもファンからも聞こえ始めた。
それでも、ウェストブルックは“ウェストブルック”だった
ただ、そこで終わらなかったのが彼のすごさだ。2020年の2月以降、ウェストブルックは進化を見せた。スモールボールに完全適応したわけじゃないけど、ある意味で“自分の道”を見つけた。
センターのいないロケッツは、ペイントがガラ空きだった。そこに突っ込む。それがウェストブルックの回答だった。3Pはあまり打たない。とにかく突っ込む。
ドライブ、ドライブ、そしてドライブ。1on1では誰も止められなかった。
実際、2020年2月〜3月のスタッツは凄まじかった。
・2月:31.7得点、8.2リバウンド、5.5アシスト、FG成功率54.9%
・3月:27.5得点、6.8リバウンド、6.8アシスト、FG成功率53.6%
トリプルダブルではない。でも“効率的”なウェストブルックだった。過去とは違う形で、自分を証明してみせた。
バブル、そして終焉
だが、その矢先にコロナ禍が襲う。シーズンは中断し、2020年夏に“バブル”として再開された。再開直前、ウェストブルックはCOVID-19に感染。プレーオフに向けて万全な状態ではなかった。
それでも出場した1stラウンド、相手はサンダー。皮肉なめぐり合わせ。古巣相手に勝利し、ウェストブルックは感情を爆発させた。
だが、セカンドラウンドで立ちはだかったのはレイカーズ。アンソニー・デイビスとレブロン・ジェームズが率いる王者候補。ロケッツは第1戦こそ勝利したが、そこから4連敗。あっさりと敗退した。
このシリーズで露呈したのは、“ウェストブルックの限界”じゃない。むしろ、“このシステムの限界”だった。スモールボールの弱点を突かれ、フィジカルで押しつぶされた。ハーデンもウェストブルックも、やりたいことをやらせてもらえなかった。
この敗退後、ダントーニは退任。モーリーも辞任。ハーデンは翌シーズン、ネッツへトレードされる。そしてウェストブルックもまた、ロケッツでの時間は終わった。
ロケッツで得たもの、失ったもの
ウェストブルックにとって、ロケッツでの1年は“失敗”だったのか?
たしかにリングは手に入らなかった。平均トリプルダブルも途切れた。結果だけ見れば、マイナスに見える。
でも、ここで彼は「変わる」ということを学んだはずだ。
スタイルを曲げ、システムに寄せ、ハーデンに合わせ、時には主役を譲った。それは、サンダー時代には見られなかった姿だった。
ケビン・デュラントと対立するほどの実力を持ち、自己主張の塊だった男が、チームの中で“共存”を試みた。その過程で、痛みを伴いながらも新しい自分を手に入れた。
ロケッツのウェストブルックは、記録ではなく“人間”としての進化のシーズンだった。
“魂のトレード”、友情と現実のはざまで
忘れてはいけないのは、あのトレードの裏にあった“友情”だ。ウェストブルックとハーデンは兄弟のような関係だった。だからこそ彼はヒューストンに行ったし、ハーデンも歓迎した。
でも、NBAはビジネス。友情だけでは勝てない。お互いが主役である限り、ぶつかり合いは避けられない。
“再会”は、現実に呑み込まれていった。
そして、1年後に別れを迎える。短すぎる関係のようにも見えるが、濃密だったのは間違いない。ウェストブルックはその後もウィザーズ、レイカーズ、クリッパーズと移籍を続ける。だが、ロケッツでの経験は彼の中で大きな転機になったはずだ。
最後に ー ウェストブルックは変われたのか?
「変わらないことが美徳」と言われることもある。でもNBAという舞台では、“変われる”こともまた、強さだ。
ヒューストン・ロケッツでのラッセル・ウェストブルックは、間違いなく“変わろうとした”。それが成功だったとは言わない。けど、彼は挑んだ。その姿勢こそが、ウェストブルックらしさでもある。
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