797-コービー・ブライアント
コービー・ブライアントという得点マシン:2005-06シーズン完全解剖
■ スコアリングマシン爆誕のシーズン
2005-06シーズンのNBAを語るとき、絶対に避けて通れないのがコービー・ブライアントの異次元スコアリングだ。この年、コービーは平均35.4得点を叩き出し、キャリア初の得点王を獲得。しかもこの「35.4」という数字は、ジョーダンのキャリアハイ(37.1)に次ぐ近代NBAの歴代でも屈指のハイスコア。
特に象徴的だったのが、2006年1月22日のトロント・ラプターズ戦。コービーは48分にも満たないプレイタイムで、ウィルト・チェンバレンの100点に次ぐ史上2位の81得点を叩き出した。この試合ひとつで、彼のスコアラーとしての評価が完全に変わったと言っても過言じゃない。
■ それまでのコービーと「得点王」の距離
「コービーってずっと点取り屋だったんじゃないの?」って思ってる人、意外と多いかもしれない。確かに派手なハイライト、クラッチショット、背番号8番時代の爆発力……イメージ的には得点王と何度も縁があったように思える。
でも実際には、2005-06シーズン以前のコービーは、トップ3の得点ランク入りがたった1回しかない。それが2002-03シーズンの30.0得点(リーグ2位)だ。この年も得点王はマグレディー(32.1)に奪われているし、他の年は27点とか25点とか、目立つけど頭ひとつ抜けてるわけじゃなかった。
この原因のひとつが、言うまでもなくシャキール・オニールの存在だ。キャリア前半のコービーは、スーパースターとはいえ「シャックの横にいる最高の2番手」という役回りだった。シャックがインサイドを支配し、そこにダブルチームが来たらコービーがアウトサイドから決める——この役割分担が確立されていたから、コービーが“平均30点以上取るスコアラー”として動く余地はなかった。
■ チーム事情が引き出した「完全体コービー」
じゃあ2005-06シーズン、何が変わったのか? 一言でいえば「全部自分でやるしかなかった」。この年のレイカーズはシャックが去り、スターターで名の知れた選手はラマー・オドムくらい。あとはクリス・ミーム、スモッシュ・パーカー、クワミ・ブラウンという布陣。正直、優勝を狙うどころか、プレイオフ出場すらギリギリのチームだった。
そんな中で、コービーが「俺が全部やる」というスイッチを入れた。攻撃の選択肢はほぼ全て彼に託され、相手チームはわかっていても止められない。スコアリングだけでなく、試合を支配するためのショットセレクションや、クラッチタイムの判断も洗練されてきた。
この年のコービーは、1試合40点超えが27回。50点超えが6回、60点超えが2回(うち1回は81点)。得点爆発が“日常”になっていた。
■ コート上のどこからでも点が取れる
コービーがこの年、本当に「一段上のスコアラー」になったのは、単に得点を積み上げたからじゃない。どこからでも、どんな方法でも点が取れる。これが、他の得点王と一線を画す理由だった。
まずはミドルレンジ。コービーの得意ゾーンといえば、フリースローライン付近の左右45度。ここからのフェイダウェイジャンパーは芸術的なレベルで、まるでジョーダンを彷彿とさせる滑らかなステップで打っていた。
3ポイントも年々精度が上がっており、この年はキャリアハイとなる1試合平均1.8本の成功。無理やりなステップバックでも、ディフェンスの手がかかっていても、構わず沈めるメンタリティがあった。
そしてペイント内へのドライブ。ハンドリングも巧みで、身体を預けながらのフィニッシュは極めて高精度。相手のビッグマンに当たってもバランスを崩さずにシュートを決める姿は、まさに「ボディコントロールの化身」だった。
■ 経験値が駆け引きに表れるように
この頃のコービーは、もはやただの身体能力頼りの若手ではない。NBA10年目、27歳という脂の乗ったタイミングで、ゲーム全体の読みも極まってきた。
ディフェンスがどのタイミングで手を出してくるのか、どの位置でファウルをもらえるのか、どのルートを使えばスイッチが誘発できるのか——全部読んでプレイしていた。いわば「感覚で打ってた」のではなく、「すでに決まっていた結果を実行していた」ような完成度。
試合中に「今から点を取るぞ」という予告をして、本当にその通りに決める。そんな“支配者感”が漂っていた。
■ 「孤高のスコアラー」という称号を確立
この2005-06シーズン以降、コービーの得点力に関して疑う声は一切消えた。それまでは“万能型”、“オールラウンド”の評価が先行していたが、この年を境に「NBA史上最高クラスのスコアラー」という肩書が加わる。
実際、彼のその後のキャリアで得点王に輝いたのはこのシーズンと翌年の2回だけだが、それ以上に「1試合でどれだけ点を取れるか」という部分で、常に“最恐候補”として名を連ねるようになった。
「コービーに火がついたら止まらない」
この言葉はこの年を見た人すべての脳裏に焼きついたフレーズだろう。
■ “81点ゲーム”という伝説
最後にもう一度だけ、あの81点ゲームに触れておこう。トロント・ラプターズ戦での伝説的な試合。前半は26点止まりだったが、後半だけで55得点という狂気。しかも3ポイントは7本成功、フリースローも18本中18本。まさに完璧。
試合後のコービーは「ゾーンに入っていた」と語っていたが、観ていた全員が「これは歴史が動いている」と感じていた。
この1試合は、彼のキャリアを語る上での金字塔であり、同時に「NBAにおける得点力とは何か?」という問いに対する、ひとつの答えだった。
まとめ:スコアラーとしての完成形
2005-06年のコービー・ブライアントは、得点という行為をアートの域にまで高めた存在だった。
シャックが去ったことで初めて自由に振るえた“本気の矢”は、リーグを焼き尽くすほどの威力を持っていた。
誰にも止められない。誰にも真似できない。
そして、誰もがその姿に魅せられた。
コービーはこのシーズンで、「孤高のスコアラー」という称号を手に入れた。
彼が残した数字は、ただのスタッツではなく、NBA史に刻まれた芸術だった。
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