721-スコッティ・ピッペン
史上最高のナンバー2:スコッティ・ピッペンという偉大な『影』
スコッティ・ピッペン。この名前を聞くと、多くのNBAファンはマイケル・ジョーダンの「脇役」としての彼を思い浮かべるだろう。1990年代のシカゴ・ブルズ、6度のNBAチャンピオンシップ、そのすべてでジョーダンの相棒として戦い続けたピッペンの存在は、ジョーダンの輝かしいキャリアを語る上で欠かせない。しかし、ピッペンは単なる「脇役」では終わらない。彼自身、偉大な選手の一人として認識されているし、事実、彼の存在がなければブルズの「スリーピート」も実現しなかったかもしれない。
ピッペンは、ジョーダンの影に隠れつつも、自らの力でその影を脱し、NBA史に残るスーパースターへと成長した男だ。彼がどれだけの影響力を持ち、いかに優れたプレーヤーだったのかを深掘りしていこう。
ディフェンスの達人:究極のオールラウンダー
ピッペンを語る上で最も重要なポイントは、その驚異的なディフェンス力だ。NBAでのキャリアを通じて、彼は8年連続でオールディフェンシブ・ファーストチームに選出され、まさに鉄壁の守備を誇った。ひょろ長い体躯だが、それを生かす長い腕、そして抜群の運動神経を駆使して、彼は相手のボールをことごとく奪い、試合の流れを瞬時に変えるプレーを何度も披露した。
ディフェンス面での貢献は、ピッペンを単なる「ジョーダンのサポート役」から、NBA史に名を残すオールラウンドプレイヤーへと引き上げた要因の一つだ。彼は相手のエースガードやフォワードを徹底的に封じ込め、リバウンドから速攻に繋げ、そして得点機会を自ら作り出す。まさに「走攻守すべてを兼ね備えた選手」として評価された。
その証拠に、1992年、1996年のオリンピックで金メダルを獲得したアメリカ代表「ドリームチーム」の一員にも選ばれている。彼のディフェンスが国際的な舞台でも通用するかを証明し、世界中のファンにその能力を知らしめた。NBAだけでなく、世界最高峰の舞台でも輝くことができたのは、ピッペンがいかに優れたプレーヤーであったかを物語っている。
「脇役」という誤解
スコッティ・ピッペンのキャリアは、マイケル・ジョーダンという歴史上最も偉大な選手とのコンビによって常に語られる。だが、ピッペンはジョーダンの「脇役」として自らの価値を限定することはなかった。彼自身も、ジョーダンと共にプレーする中で、自分がどれだけ優れた選手であるかを深く理解していた。だからこそ、彼は「誰とでも主役になれる」という強烈な自負を持っていた。
ジョーダンが一度目の引退をした1993-94シーズンは、ピッペンの実力が証明された年だった。ジョーダン不在のシカゴ・ブルズは一気に低迷するかと思いきや、ピッペンがチームを引っ張り、54勝28敗という素晴らしい成績を残した。彼はこの年にMVP投票でも3位に入るほどの大活躍を見せた。この時、ピッペンはジョーダンがいなくても、自らがチームの中心選手としてチームを勝利に導けることを証明した。
しかし、そんなピッペンにも苦しい瞬間があった。それが1994年のイースタン・カンファレンス・セミファイナル第3戦、残り1.8秒での出来事だ。フィル・ジャクソンHCがラストショットをトニ・クーコッチに託すと、ピッペンは激怒し、コートに出ることを拒否した。この出来事は、彼が脇役では終わりたくないという強い意思を持っていた証拠でもある。チームのためにプレーしてきたピッペンにとって、この瞬間は自分の価値が認められていないと感じた一瞬だった。
ブレイザーズ時代とコーチとの衝突
ブルズ時代の成功の後、ピッペンはポートランド・トレイルブレイザーズへと移籍する。この移籍は、ピッペンが「ジョーダンなしでも優勝できる」という証明を果たすための新たな挑戦だった。しかし、ここでも彼のキャリアにはいくつかの衝突があった。特に、マイク・ダンリービーHCとの間で起用法について何度も衝突したのは有名だ。
ブレイザーズは2000年のカンファレンスファイナルに進出したが、レイカーズとの第7戦で20点差を逆転され敗北。ピッペンにとっては痛恨の敗戦となったが、彼のリーダーシップとディフェンス力はチームを支え続けた。結果的に、ブレイザーズではチャンピオンシップに手が届かなかったが、ピッペンは「ナンバー2」としてではなく、「オールラウンダー」としてチームの顔の一人として奮闘した。
最後のブルズ復帰
ピッペンのキャリアは、2003-04シーズンに再びブルズに戻ることで終わりを迎える。だが、彼がブルズに戻った時、すでにジョーダンもいなければ、かつての栄光を共に分かち合ったチームメイトたちもいなかった。ピッペンはこの復帰を通じて、自らのキャリアに終止符を打ちつつも、ブルズという特別なチームでの思い出を最後に再び感じたかったのだろう。
彼が「もう二度と戻らない」と誓っていたブルズに戻ったことは、彼の複雑な感情を象徴している。成功と苦悩、栄光と矛盾、そのすべてを抱えたピッペンにとって、キャリア最後のユニフォームが最初に着たユニフォームであったことは、彼にとって重要な意味を持っていたに違いない。
ジョーダンとの関係:パートナーシップと影
「ジョーダンならパートナーが僕でなくとも勝てただろう」
ピッペンは晩年、このように語った。確かに、ジョーダンのような絶対的なエースであれば、誰と組んでも勝てたかもしれない。しかし、ブルズの黄金時代はピッペンの成長と共にあった。1987年にピッペンがブルズに加入し、その後、彼が成長するにつれてブルズはプレーオフでの躍進を遂げ、最終的には2度の「スリーピート」に到達した。
ピッペンの存在なしには、ブルズがここまでの成功を収めることはなかったといえる。ジョーダンがいかに偉大であろうと、ピッペンのディフェンスとゲームメイクがなければ、ブルズはチームとしてのバランスを失っていただろう。特に、ディフェンス面でのピッペンの貢献は計り知れない。ジョーダンが得点を量産する一方で、ピッペンが相手のエースを封じるという役割分担があったからこそ、ブルズは攻守のバランスが取れた。
ピッペンの遺産
ピッペンは最終的に7度のオールスター選出、6度のNBAチャンピオン、そして1996年にはNBAが選出した「史上最も偉大な50人」の一人として、その名を歴史に刻んだ。これだけの実績を持ちながら、彼が「ジョーダンの脇役」として語られ続けるのは、ジョーダンがあまりにも偉大な存在であったがゆえだ。しかし、それはピッペンが単なる「脇役」に過ぎないというわけではない。彼はNBA史上、最も優れたオールラウンダーの一人であり、ディフェンスにおいてはトップクラスの選手だった。
ピッペンが残した遺産は、ディフェンスの重要性を強調するものだ。彼のような選手がいることで、チームのディフェンスがどれだけ強化されるのかを証明した。現代NBAでも、リーグを代表するディフェンダーたち――例えば、カワイ・レナードやドレイモンド・グリーン――は、ピッペンからの影響を受けている。彼らもまた、ディフェンスを軸にしてオールラウンドな活躍をすることで、チームの成功に貢献しているのだ。
さらに、ピッペンは自分の役割に甘んじることなく、勝利のためには時にエゴを捨て、チームプレーに徹することの大切さを体現していた。彼がブルズで果たした役割は、ただジョーダンの陰に隠れるのではなく、自分の持つ才能を最大限に発揮し、チームの一部としてどれだけ重要な存在であったかを示すものだった。
終わりなき議論:「史上最高のナンバー2」
NBAの歴史の中で、「史上最高のナンバー2」と称される選手は数多く存在する。シャキール・オニールとコービー・ブライアント、レブロン・ジェームズとドウェイン・ウェイド、ステフィン・カリーとクレイ・トンプソンなど、偉大なデュオは常にリーグの話題となってきた。しかし、その中でもスコッティ・ピッペンは特異な存在だ。
彼は「ナンバー2」でありながら、ジョーダンと肩を並べるほどの才能を持っていたし、必要があれば「ナンバー1」としての役割も十分に果たせる選手だった。実際、彼はキャリアを通じて、攻守にわたりバランスの取れたプレーを続け、どの時代でもチームに勝利をもたらすことができる選手だった。
ジョーダンは確かに「史上最高」と称されるが、彼の栄光の背後には常にピッペンがいた。ピッペンは、ジョーダンの成功の陰に隠れることなく、むしろその影を作り出した存在だったのだ。彼がいなければ、ジョーダンのシカゴ・ブルズはあれほどの成功を収めることはできなかっただろう。
ピッペンの影響を受けた現代NBA
現代のNBAにおいても、ピッペンの影響を受けた選手たちは多い。彼のような万能型のフォワードは、今やどのチームにとっても不可欠な存在だ。カワイ・レナードやジミー・バトラーなど、ディフェンスとオフェンスの両面でチームを支える選手たちは、まさにピッペンの系譜を受け継いでいる。ピッペンが切り開いた道は、ディフェンスを軽視せず、攻撃においても多様なスキルを持つ選手の重要性を教えてくれた。
彼がブルズ時代に見せたハードワーク、知的なプレースタイル、そして無私の精神は、現代のバスケットボールにも深く根付いている。ピッペンのような選手がいることで、チーム全体がバランスよく機能し、個々の才能が最大限に引き出される。そんな彼の影響力は、今後も続くことだろう。
結論:影を越えた存在
スコッティ・ピッペンは、ジョーダンの「脇役」というレッテルにとらわれることなく、NBA史にその名を刻んだ。彼のディフェンス、バスケットIQ、そしてオールラウンドな能力は、間違いなく彼をリーグ史上最も重要な選手の一人にしている。ジョーダンの隣で戦ったピッペンは、単なる「ナンバー2」ではなく、どのチームでも「ナンバー1」になれる実力を持った選手だった。
ブルズの栄光は、ジョーダンだけでなく、ピッペンの存在があってこそ成し遂げられたものであり、彼の影は今もなおNBAの中に存在し続けている。
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