NBAポスターコラム714:『ショータイム・バスケット』を牽引した魔術師・マジックの偉大さとは…。

NBAポスターコラム
714-マジック・ジョンソン

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マジック・ジョンソン:206cmの革命児が変えたポイントガードの定義

NBAを変えたビッグマンPG

206cmのサイズでポイントガード(PG)という前例のないスタイルを確立したマジック・ジョンソン。 彼の登場は、NBAにおけるPGの定義を覆した。マジックはその卓越したボールハンドリング能力と、クリエイティブなパスセンスで、PGというポジションに革命をもたらした。

ルーキーシーズンから平均7.3、8.6、9.5と数字を伸ばすと、4年目からは9年連続で平均10本以上を達成。この間4度のアシスト王に輝き、その他の5シーズンでもリーグ2位という圧倒的なパフォーマンスを見せた。HIV感染により31歳で突如引退を余儀なくされたため、総数は道半ばで途切れたが、そのおかげで平均スタッツは高い数字を保てたとも言える。もし引退がなければ、アシスト総数で歴代1位も夢ではなかっただろう。

PGの新時代を切り開いた革命児たち

PGというポジションは「ボールを運ぶ役割」としてのイメージが強かった。60、70年代になると、そのイメージを覆す選手たちが現れる。万能選手の『ビッグO』こと、オスカー・ロバートソン。ネイト・アーチボルト(カンザスシティーオマハ・キングス他)は自身の得点でディフェンスをかき乱す。ピート・マラビッチ(ニューオリンズ・ジャズ他) は、アクロバティックなドリブルやパスで、相手守備に風穴を空けた。純粋なPGではないがジェリー・ウエスト(レイカーズ)も、華麗なパスとシュート技術をリーグに持ち込んだ先駆者的存在だった。
時を経るにつれ、徐々にPGも自己を主張する存在となってきた。

マジックが変えたPG像

それに拍車をかけたのがマジック・ジョンソンだった。バスケットボールにおいて、スコアリングの象徴がマイケル・ジョーダンやウィルト・チェンバレンであるなら、パスの象徴は間違いなくマジック・ジョンソンだ。 彼のスタイルはチーム全体を巻き込むことで「ショータイム・バスケット」を生み出し、地元ロサンゼルスのファンのみならず全米の人々を歓喜させた。 マジックほどPGというポジションを変革させた選手はいない。PGにはボールハンドリングの良さと俊敏さが要求された。しかしマジックはその要素をすべて備えていた。身長206mというPF級の体躯を持ちながら豊かなドリブル技術とパスセンス、傑出したリーダーシップでスターダムに上り詰めた。彼の存在は、PGというポジションが一貫してボールを運ぶのではなく、ゲーム全体をコントロールする司令塔としての重要性を世に知らしめた。

ショータイム・バスケットを支えたノールックパス

マジック率いるロサンゼルス・レイカーズは「ショータイム・バスケット」と呼ばれるハイテンポな攻撃スタイルで知られていた。マジックは魔法のようなパスで、ファンに得点以外の楽しみを初めて伝えた選手と言えるだろう。
レイカーズのショータイム・バスケットを牽引し、“コートの魔術師”とまで呼ばれたマジックを支えた象徴的な技がノールックパスだ。
ノールックパスのカギを握るのは、パスする瞬間ではなく、ボールを手にする前に選手の配置、動きを頭にインプットしておくこと。「パサーの視線の長さはボールキープカと比例する」と言われるが、206cmのサイズがありながら卓越したボールハンドリング力を備えていたマジックは、コート全体を把握できる広いビジョンも併せ持っていた。その特性を最大限に生かし、自分の動きでディフェンスがどのように動き、 味方がどこでノーマークになるかを即座に予測する。このバスケットIQを兼備していたからこそ、マジックにはノールックでの華麗なパスが可能だったのだ。

名選手達との共闘、そしてライバル

マジック・ジョンソンの成功は、彼自身の能力だけではない。レイカーズで一緒に戦ったカリーム・アブドゥル・ジャバーやジェームス・ウォージーといった名選手たちとの化学反応が、彼のプレースタイルをさらに際立って見せた。特に『スカイ・フック』というチートなシュートを持つジャバーとは、NBAの歴史においても強力なデュオであったことは間違いない。

また、同年入団のラリー・バード (セルティックス) との数々の対決もNBA史に名勝負として語り継がれている。マジックが所属するレイカーズと、バードが所属するボストン・セルティックの対決は、NBAの黄金時代を象徴するものだった。2人のライバル関係がリーグ全体の人気を押し上げ、バスケットボールというスポーツ自体がアメリカ文化に深く根付くきっかけとなった。マジックがもたらしたものは単純な数字や勝利だけでなく、バ​​スケットボールというスポーツに新たな価値観を提供したのだ。

マジックのキャリアとその後

シーズンMVP3度、優勝5度、そして通算アシスト数歴代3位(記事執筆時)という実績。数字だけではなく、彼の影響力はNBAの枠を超えて、スポーツ全体に波及した。だが、マジックのキャリアは、31歳という若さでの引退を余儀なくされた。HIV感染という予期せぬ出来事により、彼はコートを去ることとなったが、その後もNBAの顔として、さまざまな形でバスケットボール界に貢献している。PGというポジションを変革を担い、またその重要性を再定義し、バスケットボールというスポーツに新たな価値をもたらした。

終わりに:史上最高のPGとしてのマジック

「史上最高のPGは誰か?」という議論が持ち上がるとき、必ずと言っていいほど名前が挙がるのがマジック・ジョンソンだ。マジックの登場が、バスケットボールの可能性を広げ、PGというポジションの在り方を一変させたのだ。マジックは圧倒的なリーダーシップとプレーメイキング能力でチームを勝利に導いた。そのスタイルは現代のPGたちにも大きな影響を与えている。事実、身長の高い選手がPGを務めるケースも少なくない。だが、マジックのような選手は現れていない。それほど稀有な存在であったマジックが残した遺産は、バスケットボール史に永遠に刻まれ続ける。

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