666-ラマー・オドム
ラマー・オドム:NBA史上稀に見るオールラウンダー
1. キャリアの始まりと期待の高さ
ラマー・オドムは1999年のNBAドラフトで、ロサンゼルス・クリッパーズに全体4位で指名された。クリッパーズは当時低迷していたチームだったが、オドムはその多才なスキルセットでチームを引っ張る存在として期待されていた。オドムはパワーフォワードの体格ながら、ポイントガードのようなドリブルワークを見せ、NBAファンや評論家たちを驚かせた。
デビュー戦では30得点、12リバウンド、2スティール、2ブロックという素晴らしいパフォーマンスを見せ、一気に注目の的となった。ルーキーシーズンでは平均16.6得点、7.8リバウンド、4.2アシストを記録し、オールラウンダーとしての実力を証明した。
2. 失望と挫折
しかし、2年目以降のオドムは伸び悩んだ。度重なる薬物規定違反や故障が彼のキャリアに暗い影を落とした。クリッパーズの若いタレントたちが台頭する中で、オドムの存在は次第に疑問視されるようになった。
3. マイアミ・ヒートでの再起
2003年のシーズン終了後、クリッパーズはオドムとエルトン・ブランドのどちらかを選ばなければならなくなり、オドムはマイアミ・ヒートへと移籍した。この移籍がオドムにとって転機となった。ヒートでは再びその才能を発揮し、80試合に出場して平均17.1得点、9.7リバウンド、4.1アシストを記録。チームは開幕7連敗から驚異的な巻き返しを見せ、第4シードでプレーオフに進出した。
しかし、そのプレーオフで真価を発揮したのは、ルーキーのドゥエイン・ウェイドだった。
オドムはキャリアをマイアミで終えたいと考えたが、ウェイドのヒートでの「ゴー・トゥ・ガイ」ぶりを目にしたフロントは、オフシーズンになるとシャックがヒートに移籍する大型トレードを成立させる。その見返りとしてカロン・バトラー、ブライアン・グラントとともにオドムはレイカーズへと移籍することになった。
4. レイカーズでの成功と評価の向上
だが、ヒートでの1年で、オドムの評価は高まり、クリッパーズ時代に植えつけられた「トラブルメーカー」のイメージは払拭された。本人はレイカーズへの移籍を大喜びでモチベーションは高いが、コービーの 「一人相撲」に不満を爆発させれば、再びトラブルメーカーとなる危険性もあった。しかし、オドムはボールハンドリングに長けているので、PG不足のレイカーズでは、ポイントフォワードとしてプレーし、コービー・ブライアントに次ぐ得点源として、そしてリバウンドでチームへの貢献を期待された。
5. オドムの真価と難しい評価
オドムは208センチの長身を持ち、ガードのようなハンドリングとクイックネス、パス能力を兼ね備えた全ポジションをこなせるオールラウンドプレーヤーだ。しかし、その万能さゆえに突出した能力がないと評価されることもあった。たが、そのオールマイティな能力はシックスマンとして、2000年代後半のレイカーズにおいて欠かせない選手になった。泥臭いリバウンドやボール運びなどチームプレーに徹し、コービー、ガソルらと共に、レイカーズの連覇に貢献した。オドムはエースとしてチームを勝たせる力は持たなかったが、その存在感は他の誰にも代えがたいものだった。
まとめ
ラマー・オドムは「器用貧乏」とも言われることがあるが、そのオールマイティな能力とチームプレーへの献身は、オドムを特別な選手にしている。特にレイカーズでの活躍は、チームの連覇に大きく貢献し、オドムの評価を高めた。オドムはエースではないかもしれないが、代わりの効かない重要なピースだったことは間違いない。
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