187-アレン・アイバーソン
2005年2月12日──アイバーソンが“チームの半分”を背負った夜と、その代償
NBAの歴史を振り返ると、「スコアリングゲーム」は腐るほどある。
ただ、その中でも“アイバーソンが支配した夜”は別格の匂いがある。
2005年2月12日、オールスター前のマジック戦。この日は点を量産しただけではなく、“チーム得点の半分以上を1人で稼ぐ”という異次元の試合だった。
AI(アレン・アイバーソン)のキャリアの中でも、このゲームは異彩を放つ。12月に2試合連続で50点超えを決めていた絶好調期の延長線上にありながら、それすら上回る“究極のスコアリングショー”になったからだ。
序盤から“止めようがない”状態──レイアップ、ミドル、FTが全部入る日
この日のAIは、開始数分でわかった。
「あ、今日は乗ってるな」というやつだ。
レイアップはスムーズ、ミドルジャンパーはリズムが完璧、フリースローは迷いゼロ。
本人が「本当にリズムが良かった」と語ったように、目の前のリングが異様に大きく見えていたのだろう。
前半だけで29得点。
これはシクサーズの前半総得点の約半分。AIが点を取っているというより、“AIがチームを前に進めている”状態に近い。
ポイントは、爆発しているのに「無理をしていない」ように見えたこと。
トランジションでフワッと抜ける、ミドルでトントン刻む、FTで加点する。
淡々と積み重ねるだけで、気づけば30点近く入っていた。
後半に“さらにギアを上げる”異常性──第4Qだけで20点
通常、爆発する選手は前半に飛ばしすぎて後半で落ちる。
しかしAIは逆だった。後半こそ本番。
特に第4Qの20得点。
これはスモールガードとして異常な数字だ。
フィジカル的にも精神的にも負担の大きい時間帯に、個人で20点を積むのは並大抵ではない。
マジックはローテーションを変えながらAIを止めにかかるが、それでも止まらない。
ミスマッチを切り裂き、ヘルプが来ても体勢を崩さずねじ込む。
結果、相手を粉砕し、フィラデルフィアのホームを狂喜させた。
毎試合40分×10年間──身体はとっくに悲鳴を上げていた
ここで忘れてはいけないのが、AIの「右足首」だ。
アイバーソンは
・小柄
・ドライブ主体
・フィジカル勝負
というスタイルでNBAを10年以上戦い、平均40分前後に出続けた“異常な存在”。
2000年代前半はロードマネジメントなんて概念もなく、
出られるなら出る。
むしろ「休んだら批判される」ような空気すらあった。
だからこそ、右足首は常にテーピングだらけ。
ひねり癖、慢性的な炎症、接触プレーの衝撃。
映像を見ても着地で外側にひねる動きが多く、“クセづいた可動域=酷使の証拠”がはっきり残っている。
普通なら年間数十試合は休んで当然。
だがAIは「出場すること」を選び続けた。
現代の“休養当たり前時代”をAIはどう見るのか?
もしAIが今のリーグにいたら、ロードマネジメントで調整され、出場時間も30分台。
連戦なら休養。
スターの価値は「出続けること」より「効率的に活躍すること」に変わっている。
では当時のAIは今をどう感じるのか?
表向きはきっとこう言うはずだ。
「選手が長くプレーできるなら、それが一番だろ?」
ただ、本音は違うと思う。
「俺らは“出場してナンボ”だった。
痛くても出るのがスターの責任だった。」
AIのプレースタイルとメンタルは、まさに“闘い続ける”ことを前提にしていた。
今のリーグは良い意味でも悪い意味でも違う世界に映るはず。
ただ、負担を減らしてキャリアを延ばせるのは確かにプラス。
もし現代のケアを受けられたら、AIはもっと長くハイレベルで戦えたかもしれない。
史上最高スモールプレーヤーが背負ったもの
アイバーソンが“史上最高のスモールプレーヤー”と言われる理由は、単なる得点能力じゃない。
・毎試合40分前後
・怪我を抱えながらドライブし続ける
・チームの責任を全て背負う
・痛みに耐えてコートに立ち続ける
この“生き様”こそが評価されている。
2005年2月12日のマジック戦は、その象徴だ。
チームの半分以上を1人で取り、終盤にもギアを上げて試合を支配した。
その裏では足首が限界に近づいていた。
それでも彼は立ち続けた。
スターであり、戦士。
アイバーソンという存在を語るうえで、この夜は絶対に外せない。
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