NBAポスターコラム184:一流のスタッツを残し、NBAの顔として飛躍した2年目のレブロン・ジェームズ。

NBAポスターコラム
184-レブロン・ジェームス

184-レブロン・ジェームズ

レブロン・ジェームズという “物語の始点”──ルーキーイヤーで見せた変革と、波乱の二年目

■ 18勝から35勝へ。10代がチームの未来を変えた瞬間

2003年のNBAに、ひとりの高校生が嵐のように降り立った。レブロン・ジェームズ。
キャブスは前年18勝。再建という言葉すら空虚に感じる暗黒期だった。

そんなチームを、10代のレブロンがたった1年で35勝に押し上げる。
イースタン9位。プレーオフまで、あとほんの一歩。

ルーキーの枠に収まらないスケール。
スコアリング、パス、ドライブ、そして圧倒的なフィジカル。
平均20.9得点・5.9アシスト・5.5リバウンドという多面性は、デビュー直後から次元が違った。

新人王は当然。
「レブロンを軸にすれば再建できる」
そう確信させる一年だった。

さらにカルロス・ブーザーが安定したダブルダブルを量産し、ジドルナス・イルガウスカスがケガなく出場を続けたことで、キャブスは明確な三本柱を手にしていた。

この3人をベースにすれば、翌年のプレーオフは現実的なターゲットになるはずだった。
……誰もがそう思っていた。

■ FA市場で起きた“悪夢”──密約疑惑とブーザー放出

だがオフに、フロントは想定外の地獄を見ることになる。

キャブスはブーザーを“再契約前提”として制限付きFAにしていた。
ところが FA解禁と同時に、ジャズが予想外に高額のオファーを提示。
キャブスはその額にマッチできず、ブーザーを何の見返りもなく失う結果になる。

当時は「ブーザーとジャズの間で密約があったのでは?」という噂まで飛び交った。
今でも語り継がれるほどの後味の悪さだ。

だが、ここで完全に崩れなかったのは幸運と言うほかない。
キャブスは急きょ、マジックからドリュー・グッデンを獲得。
ブーザーほどの完成度はなかったが、若く伸びしろもあり、レブロンとの相性も悪くなかった。

まさに九死に一生を得た補強だった。

■ 波乱のオフを経ても「レブロンの成長」は止まらない

迎えたレブロン2年目、2004–05シーズン。
ブーザー問題の後遺症を心配する声もあったが、結論から言えば杞憂だった。

なぜならレブロン自身が、そんな雑音を一瞬でかき消すほど成長したからだ。

成績は 27.2得点、7.2アシスト、7.4リバウンド。
このラインに到達したのは、
オスカー・ロバートソン
ジョン・ハブリチェック
ラリー・バード
マイケル・ジョーダン
…この4人だけ。
レブロンは史上5人目になった。

10代でこの万能性。もはや異常値だった。

オールスターにも選ばれ、リーグの“次世代の顔”として名実ともに認められた一年でもある。

キャブスも前年35勝から42勝へと前進。
成績だけ見れば、プレーオフ進出に十分なラインにいる。

だが、NBAは数字の世界であると同時に、残酷な世界でもある。

■ 勝率は足りていた。だが「直接対決」で落とされた

2004–05のイーストは混戦だった。
キャブスは42勝40敗。
8位のネッツも42勝40敗。

つまり勝率は同じ。
だが、直接対決でキャブスが負け越していたため、プレーオフの椅子はネッツへ。
レブロンは“勝率は届いているのに弾かれた男”になった。

この脱落は当時のレブロンにとって屈辱だったと言われる。
「チームを勝たせる」というテーマが、彼のキャリア最大の動機のひとつになるのは、この頃からだ。

■ この2年間がレブロンのキャリアを形づくった

レブロンのルーキーイヤーと2年目は、成功と苦難が入り混じった時間だった。

・チームを18勝→35勝へ引き上げる革命的インパクト
・三本柱の確立
・だがブーザー流出という最悪の事件
・それでも個人は歴史級の成長
・勝率は足りていたのにプレーオフを逃す悔しさ

この一連の経験は、のちのキャリア全体を支配する“哲学”を生んでいる。

「個人の数字ではなく、勝利をつかむ」

レブロンが“勝利至上のプレーヤー”として覚醒していくのは、2004–05の悔しさが土台になっている。

次のシーズン、彼はさらにギアを上げていく。
ここから“レブロン王朝への旅路”が本格的に始まることになる…。

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