168-クリス・ポール
ルーキーの常識を壊した“完成されたPG”クリス・ポール
「PG(ポイントガード)は成熟に時間がかかるポジション」——これはNBAの常識だった。
新人は試合のテンポをコントロールできず、ミスを連発し、ベテランの壁に跳ね返される。
だが、その定説を一人で覆した男がいる。2005年、ニューオリンズ・ホーネッツに入団したクリス・ポールだ。
前年わずか18勝のチームを、いきなり再生させたルーキー。
彼のデビューシーズンは、ただの好成績ではなく“チームを変えた”という点で革命的だった。
“正統派PG”の中の異端児
ポールのスタイルは、いわゆる「正統派PG」のイメージそのものだった。
ボールを持ちすぎず、味方を生かし、流れを操る。
だが同時に、彼には異端の要素があった。
それは、自分の得点力と頭脳の両立だ。
鋭いドライブでディフェンスを切り裂き、次の瞬間にはノールックでコーナーの味方にパスを通す。
そのプレーは、瞬時に次の展開を読む頭の速さと、身体能力の融合だった。
20歳にして「コート上の監督」と呼ばれた理由がそこにある。
「うちには運動能力の高い選手がたくさんいる。僕の仕事は、皆にボールを届けることさ」
——若き日のポールは淡々とそう語っていた。だが、その言葉の裏には明確な哲学があった。
**“自分が点を取るよりも、チームが流れることが勝ちにつながる”**という信念だ。
チームを変えた“ポール効果”
ホーネッツは当時、ハリケーン・カトリーナの影響で本拠地を追われ、オクラホマシティでホームゲームを行っていた。
チームの士気は決して高くなかった。観客動員もリーグ最低レベル。
そんな混乱の中、ルーキーのポールがチームをまとめあげた。
プレーオフ未経験の若手や控え選手たちが、彼のリズムに乗って変わっていく。
オフェンスのテンポが整い、チーム全体が生き生きとし始めた。
シーズンを終えた頃、ホーネッツは前年から20勝も上積みしていた。
NBA史に残る“ルーキーによるチームの再生”だった。
平均観客数もリーグ最下位から大幅アップ。
つまり、ポールはコートの内外で「空気を変えた」選手だった。
ルーキー離れしたスタッツ
16.7得点、7.8アシスト、5.1リバウンド、2.2スティール。
数字だけ見ても驚異的だが、当時のNBAではさらに価値が高い。
この時代、PGが平均16得点を超えるケースは稀で、守備面でもここまで結果を残すルーキーは前代未聞だった。
新人王の投票では125票中124票を獲得。
ほぼ満票での受賞は、歴代でも数えるほどしかない。
ポールはデビュー1年目で、すでに「理想のPGとは何か」という問いに自ら答えを出していた。
“次のアイザイア・トーマス”と評された理由
当時のニックスHCラリー・ブラウンは、彼を見てこう語った。
「アイザイア・トーマスを思い出したよ。友人にも彼をドラフトするよう強く勧めたんだがね。彼は驚異的だよ。」
これは最大級の賛辞だ。
アイザイア・トーマスといえば、80年代ピストンズを2度の優勝に導いた“チーム支配型PG”の象徴。
ポールはルーキーながら、その域に迫る存在感を放っていた。
彼のアシストはただのパスではなかった。
敵ディフェンスを意図的に動かし、味方をフリーにする“戦術的パス”だ。
まさに**「試合を設計する」PG**だった。
得点ではなく“選択”で勝負するPG哲学
ポールはホーネッツ時代のインタビューでこう語っている。
「NBAのガードなら誰でも得点能力は高い。大事なのは“どこで生きるか”を決めることだ。
僕はパスに生きると決めた。」
この言葉が象徴しているのは、自己認識の高さだ。
ほとんどの若手が「自分の得点」で評価を得ようとする中、彼は最初から“チームを動かす”道を選んでいた。
この姿勢が、後の「PGの教科書」とまで言われる所以でもある。
“支配”を学んだ20歳
ポールの特徴は、単なるパサーではなく、試合を支配する能力にあった。
どのテンポで攻め、どこで止めるか。誰を活かし、どのマッチアップを狙うか。
それをルーキーの時点で理解していた。
まるでベテランのような冷静さを持ちつつ、攻める瞬間には一気に爆発力を見せる。
ディフェンスでも、読みの鋭さと手の速さでスティールを量産。
1試合2.2スティールという数字は、当時リーグトップクラスだった。
そのバランス感覚こそ、後に“Point God”と呼ばれる礎となる。
チームを救い、都市を救った20歳のPG
2005-06のホーネッツは、単なるチーム再建ではなく、街の再生の象徴でもあった。
ハリケーン・カトリーナの傷跡が残る中、彼の存在がオクラホマシティのファンに希望を与えた。
観客は勝敗だけでなく、“チームとしての再生”を見ていた。
ポールのリーダーシップは、若さを超えた“精神的支柱”としてチームに浸透していた。
“CP3”というブランドの始まり
ルーキーイヤーの時点で、クリス・ポールはすでに世界のPGたちが目標とする存在になっていた。
「CP3」というブランドは、単なるニックネームではなく、“完璧なPG像”の代名詞だった。
以後、彼はクリッパーズでロブシティを演出し、ロケッツでハーデンと共演し、サンズではファイナル進出を果たす。
どのチームに行っても勝率が上がるのは偶然ではない。
あの新人時代に築いた**「チームを動かす感覚」**が、今も彼の中に息づいている。
結論:ルーキーで“完成されたPG”は、彼だけだった
NBAの長い歴史の中でも、ルーキーの段階で“完成されたPG”と呼べる選手は数少ない。
スティーブ・ナッシュでさえ、1年目は試行錯誤の連続だった。
だが、クリス・ポールは違った。
最初から“PGとはこうあるべき”という形を提示していた。
得点・アシスト・リバウンド・スティール。
どの項目をとっても非の打ちどころがなく、それをチームの勝利に結びつけた。
そのインパクトは、数字以上に鮮烈だった。
“CP3”の原点は、あのルーキーイヤーにある。
チームを救い、街を救い、PGというポジションの概念さえ塗り替えた——
20歳の青年が見せたあの1年こそ、NBA史に残る奇跡の幕開けだった。
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