166-レブロン・ジェームス
“キング”誕生の始まり──レブロン・ジェームスという賭け
「プロのアスリートとして多くのことを言及されるだろう。だが僕はただ前に進むための努力をし、自分のゴールに向かっていく」
この言葉がまだ18歳の青年から発せられたことに、誰が驚かなかっただろうか。
2003年、レブロン・ジェームスという名はすでに全米を席巻していた。高校生にして「キング」と呼ばれ、テレビ放送される高校の試合には数万人が熱狂した。
そしてNBAは、彼を巡る“運命の抽選会”を迎えることになる。
17勝65敗──絶望の先に見た“希望”の名前
02-03シーズンのクリーブランド・キャバリアーズは、チーム史上最悪の17勝65敗。
チーム関係者は「意図的な敗戦ではない」と否定したが、誰もが薄々気づいていた。
“あの少年”を手に入れるためなら、どんな屈辱も飲み込む覚悟があったのだ。
ドラフト1位指名権を得る確率は、ナゲッツと並んでわずか22.5%。
4分の1にも満たない運命の賭け。
もし医者に「手術の成功率は25%です」と言われたら、ほとんどの人は尻込みするだろう。
だがキャブスは迷わなかった。レブロンという存在が、それほどの価値を持っていたからだ。
ピンポンボールが弾んだ瞬間、未来が決まった
ロッタリー抽選会。
ドラムの中で回るピンポンボールが、1つのチームの運命を変える。
そして──
キャブスの名が呼ばれた。
その瞬間、会場がどよめきに包まれる。
クリーブランドが“救世主”を手に入れたのだ。
チームは迷うことなく、アクロンの高校生、レブロン・ジェームスを全体1位で指名した。
デビューイヤー、新人王という答え
高校を出て即NBA入り。異例のルーキーに、周囲の期待とプレッシャーは計り知れなかった。
だがレブロンはそのすべてを背負いながら、堂々とコートに立った。
開幕戦、彼は25得点・9アシスト・6リバウンド。
わずか一夜で「噂は本物だった」と証明してみせた。
結果、ルーキーイヤーは平均20.9得点・5.5リバウンド・5.9アシスト。
史上初めて高卒新人で平均20点・5リバウンド・5アシストを記録した選手となり、新人王を獲得。
チームも前年の17勝から35勝47敗と大きく成績を伸ばし、イースタン9位。
プレーオフまであと一歩──たった一年でここまで変える力を、レブロンは見せつけた。
光の中で見落とされた“代償”──カルロス・ブーザー退団
デビューイヤーにレブロンは期待通りの活躍を見せ、新人王を獲得したあ。
あとは光り輝くこの逸材をサポートするメンバーを集めていけばいい。
順風満帆に見えたキャブスだが、早くも影が差し始める。
成長著しいカルロス・ブーザーを、契約交渉の甘さから失ってしまう。
ブルーワーカーとして、リム周辺で泥臭く戦うその姿勢は、まさに“スターを支える縁の下の力持ち”だった。
チームは代わりにドリュー・グッデンを獲得し、大崩れは避けたが、ブーザーと比べて遜色はないとは言えなかった。
そしてそれ以降、キャブスのチーム構築は“迷走”の兆しを見せ始める。
弱点の露呈──3Pとセカンドユニットの欠如
レブロンが休む時間帯、チームは得点を生み出せない。
外からの得点源もなく、相手ディフェンスは常にレブロンへの集中マーク。
3ポイントシューター不在という弱点が浮き彫りになっていった。
最終成績は42勝40敗。前年より7つ増やしたが、再びイースタン9位。
8位のネッツと同率ながら、直接対決の結果でプレーオフを逃した。
「レブロン」という幻想が、「チームの成功」という現実に引き戻されていく。
“キング”にかけられた呪文──期待と重圧の共存
この時のレブロンは、まだ10代。
だが背負っていたのは、チーム再建・地元の希望・そしてリーグ全体の期待だった。
メディアは「ジョーダンの再来」と騒ぎ立て、
スポンサーは高校卒業前から動き出していた。
ナイキは彼に7年9000万ドルという超大型契約を提示。
これはまだNBAで1試合もしていない選手に対する、史上最大の賭けだった。
だがナイキは見抜いていた。レブロンが単なるアスリートではなく、“現象”になることを。
高卒ルーキーが背負った「時代の重さ」
レブロンのルーキー時代を語るとき、忘れてはいけないのが「時代背景」だ。
当時、NBAはジョーダンの引退後、真の“顔”を失っていた。
コービーとシャックの不仲、アイバーソンの孤独な闘い、マクグレディやカーターの個人技──
才能は溢れていたが、「王」と呼べる存在はいなかった。
そこに現れたのが、地元出身で、身体能力・バスケIQ・精神力すべてを兼ね備えた18歳。
NBAは新しい象徴を求め、ファンは救世主を求めていた。
つまり、レブロンは「リーグ全体の期待」を背負ってデビューした最初の選手だった。
地元の少年が“伝説”へと歩み出す
キャブスにとっても、レブロンは単なるスターではない。
地元オハイオ州アクロン出身。
その少年が、自分たちの手でチームを救う。
そんな物語が現実になった瞬間、街全体が熱狂した。
クリーブランドの子どもたちは、レブロンの背番号23を背負い、街を歩いた。
彼の存在が「夢」を与え、同時に「責任」を背負わせた。
レブロン自身もこう語っている。
「僕はただ、前に進む努力をする。自分のゴールに向かっていくだけだ」と。
“キング”誕生前夜──賭けに勝った者と、背負わされた少年
あのドラフト抽選会から、すべてが始まった。
わずか22.5%の確率で当てた“運命のピンポンボール”。
それがキャブスの未来を救い、NBAの新時代を切り開いた。
だが同時に、それはレブロンにとって“重すぎる冠”を意味した。
「キング」と呼ばれた瞬間から、彼は常に“王であること”を求められた。
どんな勝利も、どんな敗北も、すべてはその称号と比較される。
そして、レブロン・ジェームスの“伝説”は、この時まだ始まったばかりだった──。
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