134-2006 FIBA WORLD CHAMPIONSHIP TEAM USA。
アテネの屈辱からの再出発
2004年アテネ五輪で、アメリカ代表は3位に沈んだ。アレン・アイバーソン、ステファン・マーブリーといったスコアリング型のガードがチームを引っ張ったが、シュート精度やディフェンスの連携不足が致命傷となった。世界中に「アメリカはもう無敵ではない」という印象を与えた大会だった。
この失敗を受け、USAバスケットボールは方針を転換する。個の力で押し切るスタイルから、組織力を前面に出すチーム作りへ。真のポイントガードを据え、国際大会仕様のバスケを模索し始めた。
新生チームの主役たち
2006年の世界選手権(現・W杯)は日本開催。ここでのアメリカ代表は、のちにNBAを背負う若きスーパースターたちが軸となった。
- レブロン・ジェームズ:NBA3年目、すでにオールスター常連。万能型フォワードとして期待された。
- カーメロ・アンソニー:デンバーでエースに成長中。得点力を代表でも発揮した。
- ドウェイン・ウェイド:2006年ファイナルMVP、勢いそのままに参戦。爆発的なドライブが武器。
さらに控えにはクリス・ポール、クリス・ボッシュ、ドワイト・ハワードといった若手がずらり。次世代の「黄金世代」が顔をそろえた。
PG改革 ― CP3とカーク・ハインリック
アテネの反省から、今回のチームには本格派PGが選ばれた。
- クリス・ポール:新人王を獲得したばかりの司令塔。コートビジョンとゲームコントロール能力で期待された。
- カーク・ハインリック:シカゴ・ブルズの堅実なガード。アウトサイドシュートと堅守で国際ルール向きだった。
得点型のガードではなく、パス優先型を据えたのは大きな方向転換だった。
日本開催 ― 期待と注目の大会
舞台は日本。アメリカ代表が東アジアで本格的にプレーするのは珍しく、開催国としても注目度は抜群だった。レブロンやウェイドといった若いスターが揃い、観客動員も大きな話題になった。
開幕からUSAは快進撃。アスリート能力と層の厚さで圧倒し、予選リーグは全勝。準々決勝ではドイツを撃破し、メロが35得点と大爆発してチームを牽引した。
ギリシャ戦 ― ピック&ロールに崩壊
しかし、準決勝で待ち構えていたギリシャに悪夢が待っていた。
ギリシャはスター選手こそ少なかったが、ピック&ロールの連続でアメリカを翻弄。司令塔パパルーカスの巧みなゲーム運び、ビッグマンとのコンビネーションで次々と得点を重ねた。
USAの守備は一対一の能力に依存しすぎ、チームディフェンスが崩壊。スクリーンに対する対応が遅れ、ヘルプのローテーションも徹底できなかった。結果、101-95で敗北。ここで金メダルの道は断たれた。
個の力は光るも、組織で負けた
ギリシャ戦で浮き彫りになったのは「チームとしての完成度の差」だった。
アメリカは個々の選手がNBAトップクラスであることに疑いはなかった。メロは大会通じて平均19.9得点でチームトップ、ウェイドやレブロンも瞬間的な爆発力を見せた。だが、国際ルールに特化したチーム戦術に対応しきれなかった。
特に3PラインがNBAより短いFIBAルールでは、相手のアウトサイドが効率的に決まりやすく、アメリカの守備のほころびを突かれた形になった。
スペイン戦 ― 若さの壁
3位決定戦ではアルゼンチンを破って銅メダルを確保。金メダルを手にしたのはパウ・ガソルを擁するスペインだった。スペインは結束力と戦術理解度が高く、アメリカが理想としていた「チームバスケット」を体現していた。
成長の通過点
2006年の銅メダルは失望と同時に、大きな意味を持つ“通過点”だった。
この経験を経て、USAバスケットボールはさらに本格的な改革を進める。マイク・シャシェフスキー(コーチK)がチームをまとめ、2008年北京五輪では「リディームチーム」と呼ばれる集団で完全復活を遂げる。
レブロン、メロ、ウェイドの世代が中心となり、経験と結束を武器に金メダルを奪還。2006年の失敗は、その布石となったのだ。
まとめ
チームUSA2006は、日本で銅メダルに終わった。しかし、レブロン、メロ、ウェイドといった若きスターが世界の舞台で揉まれたことは、のちの「リディームチーム」誕生につながった。
個の力で勝てる時代は終わり、組織としてどう戦うか。その教訓を刻み込んだ大会だった。
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