タイトルーコロナ化における35歳以上の転職のリアル-2
今回も、このコラムでは転職して私が「感じたこと」、「思ったこと」、そして「体験したこと」、をリアルに綴っていきたいと思っています。
今、転職しようかどうか悩んでいる方の手助けができたら幸いです。
本日のテーマ
■『転職先の仕事をする上で一番切なくなることとは?』
A.昔と違って〇〇〇〇〇〇瞬間。
それでは、よろしくお願いいたします。
本日のテーマ
■『仕事をする上で一番切なくなることとは?』
A.放っとかれる瞬間。
答えを聞いただけだと、「仕事は貰いに行くものだ」「掃除でもなんでもいいからやる。」
「転職したならそういう心意気で仕事に向かうべきだ。」と思う方がいらっしゃると思います。
その通りです。実際に私も転職前の会社時代はそう思っていました。
現在、転職前の方は現在の会社で、仕事を覚え、仕事を任され、ある意味では自分自身で仕事の状況を把握し、コントロール下に置いていると思います。
その状況だから出てくる答えなのです。
しかしここでお伝えするのは35歳以上の転職のリアルです。
前回のコラムで仕事を覚えた状況、職場に慣れた環境というものはとても貴重であるというお話をしました。
一体何が貴重なのでしょうか?
結論を言うと、曖昧な部分において決定権を持てるということです。
社長が言っても、新人が言っても〇は〇で、×は×です。
その間にある△に対して主導権を握れるのが「キャリア」なのです。
仕事における「なんとなくの正解」の幅が△なのです。
今いる会社で積み重ねた実績、在籍年数によって曖昧な部分の決定権がもてるようになるのです。
そして仕事における「なんとなくの正解」の幅はあなたが思っている以上に広いのです。
例えば、パソコンを使っていました。
そこに
A 「パソコン貸してください。」
B「分かりました。」
で、作業を中断してパソコンを譲ります。
もしこれがキャリアを積んだ B だとしたら、
A 「パソコン貸してください。」
B「もうすぐ終わります。」
と、 作業を終了させてからパソコンを譲ることができます。
その方が効率がいいという「なんとなくの正解」を知っているからです。
簡単な例ですが、仕事をしていく中で自分のやりやすいように仕事ができる環境というものは、〇と×の間の三角の部分に、どれだけの正解の幅による決定権があるかどうかです。
転職して新たな仕事を始めるということは、曖昧な部分においての正解の幅が少ないのです。
少ないというより間の△の幅が転職により、無くなるのです。
さて仕事をする上で一番切なくなるのは「放っておかれる瞬間」と言いました。
間の△がなくなることにより「放っておかれる瞬間」が生まれるのです。
まだ仕事覚えてないのに、自分の力量を超えた仕事を与えられるのはもちろん辛いです。
しかしそれ以上に、 力足らずの今の自分にできることは何もない状況から生まれる「放って置かれる瞬間」は、自分で仕事をクリエイトできる状況、「なんとなくの正解」の幅を広げた環境を築いた方からすると、とても辛いことになります。
私は高校卒業後、ある会社で10年間製造業に携わってきました。
10年経った時に、仕事も覚えて、いろんな立ち位置も経験し、役職がつく一歩前の生意気になった自分が、今思えばいました。
その後会社を辞め、社会に飛び込んで自分なりに仕事をしてみたものの、全く通用しませんでした。
仕事もなく売り上げがない私は、食費を切り詰め、光熱費や家賃の固定費、前年の収入から算出される税金(社会人時代)の支払いに怯え、持ち物をオークションに出品し、日々貯金を切り崩す日々を過ごすことになります。
焦った私は、とりあえずお金は稼がねばならないと再就職を決意。
「頑張ったぶんの成果が得られる、社長になるための研修が仕事」という怪しいキャッチコピーの会社に就職しました。
美辞麗句を並べたてた紹介のその会社は、もちろんブラック企業。
行商スタイルで毎日与えられる商品を、 売り尽くすまで東京の街を練り歩いていました。
(売れない日のほうが当たり前)
社会保険もなく、遊び半分で買っていく夜の街の酔っ払いを相手に、毎日平均午前3時まで働いていました。
鈍い私はそこで1年間も過ごすことになります。
逆になぜ1年も持ったかと言うと
「成果を出して社長になれる」という目標のもと、自腹営業で商品を買っていたのです。
アホですね。
そしていよいよ自腹営業もできないほど、貯金も無くなりました。
10年間必死で働いて貯めたお金だったのですが、気持ちに余裕がなくなるとは本当に怖いことです。
そして実家に帰ることになります。
実家に帰り父親の仕事を手伝うことになります。
ブラック企業時代に心を病んでしまっていたので、トラウマが残り、企業に属するということが怖くなっていました。
しかし3年経った頃に父が仕事中の事故で亡くなりました。
また一人立ちするほどの技術を習得していなかったので、 ここでもまた再就職先を探すことになります。
派遣として製造業に戻ることになります。
なぜ派遣を選んだかと言うと、まだ後遺症が残っていたのです。
派遣社員ならばそこまでノルマや提出物などのプレッシャーはないと思っていたのです。
しかし派遣社員をしているから、気が楽なんてことはありません。
長く務めた私は(3年)ボーナスがなく、制度が整っていない中で、 正社員と同じだけの働きを求められます。
いざという時には正社員を守るために切り捨てられるのが、派遣社員であり契約社員です。
いくら企業がパワハラやセクハラに対してのガイドラインを定めようと、本当のセクハラやパワハラは表には出てこないのです。
企業に属して同じプレッシャーを受けるならば、正社員の方が「まだマシ」ということで正社員として受け入れてくれる会社を探し出したのです。
しかしその時もうすでに36歳。転職できるギリギリのラインである35歳を過ぎていました。
35歳以上の転職がどういったものであるかは、このコラムにて記載させていただきました。
初めに伝えさせて頂いた通り、 私は転職を「やめろ」と言っているわけではありません。
あなたが思ってる以上に仕事を覚えた状況、慣れた環境というのはありがたいことなのです。
私でいうならば、最初に勤めた企業の最終年が、10年かけて築いたポジションがどれほど尊いものか。
失ったことで気づくことの一つではあるかもしれません。
最後に私から、転職エージェントと同じようなことを伝えさせていただきます。
転職するにしてもしないにしても、是非納得いく決断をしてください。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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