NBAポスターコラム776:左手の骨折、崖っぷちの戦い、そして運命の第5戦…アイバーソンの答えとは?

NBAポスターコラム
776-アレン・アイバーソン

776-アレン・アイバーソン

アレン・アイバーソンの試練と闘志

MVPの翌年、試練のシーズン

2000-01シーズン、アレン・アイバーソンはNBAの頂点に近づいた。キャリア5年目にしてMVPを獲得し、フィラデルフィア・セブンティシクサーズを18年ぶりのNBAファイナルへ導いた。圧倒的な得点力、鋼のメンタル、そして持ち前のカリスマ性でリーグを席巻し、名実ともにスーパースターとなった。しかし、栄光の翌シーズンは彼にとってさらに厳しい試練の年となる。

シーズンが開幕すると、シクサーズは不安定な戦いを続けた。連勝して勢いに乗るかと思えば連敗を重ねる、そんなジェットコースターのようなシーズンだった。前年の覇者としてのプレッシャー、主力選手のケガ、そしてライバルチームの強化といった要因が絡み合い、チームはなかなか安定しなかった。

そんな中、チームの命運を大きく左右する出来事が起こる。3月22日のボストン・セルティックス戦で、アイバーソンが左手を骨折してしまったのだ。診断結果は全治3~4週間。エースを失ったシクサーズは一気に窮地へ追い込まれた。

エース不在の中での戦い

アイバーソン抜きで戦うシクサーズは、なんとかプレーオフ争いに踏みとどまる必要があった。残り14試合を7勝7敗でしのぎ、最終的に43勝39敗のイースタンカンファレンス6位でレギュラーシーズンを終えた。

アイバーソンのプレーオフ復帰は微妙と見られていた。しかし、これまで数々のケガを乗り越えてきた彼の回復力の早さは、誰もが知るところだった。そして案の定、彼はプレーオフ第1戦に間に合わせた。

因縁の相手、ボストン・セルティックス

プレーオフ1回戦の相手は奇しくも、アイバーソンがケガを負ったセルティックスだった。レギュラーシーズンでは1勝3敗と分が悪い相手。さらに、アイバーソンはまだ完全な状態ではなかった。

第1戦、第2戦はシュートの感覚が戻らず苦戦を強いられた。左手の骨折の影響もあり、シュートタッチは鈍かった。それでも「ショットをミスしただけ。俺だけがどうとか、ディフェンダーがどうとかって問題じゃない」と、決して言い訳はしなかった。

しかし、指揮官ラリー・ブラウンは「彼がプレーできたこと自体が奇跡だ」と、その献身的なプレーを称えた。

背水の陣、第3戦で大爆発

2連敗で迎えた第3戦、アイバーソンはついに覚醒する。42得点を記録し、第4Qだけで13点を叩き出す圧巻のパフォーマンス。もつれた試合を自らの手で決着させた。

「これが俺の人生だ。負ければ俺とコーチが指さされる。ゲームに勝てば俺が賞賛を受ける。それを受け入れて理解するしかない」

常に勝負の責任を背負い続けてきたアイバーソンらしいコメントだった。

第4戦では試合終盤の残り1分13秒で8得点を奪い、経験の差を見せつけた。シリーズをタイに戻し、「俺を止められるのは俺だけだ」と得意のフレーズを炸裂させた。

宿命の第5戦、ピアースとの激突

勝負の行方は最終第5戦へ持ち越された。この試合、アイバーソンは31得点を記録し、全力を尽くした。しかし、それを上回るパフォーマンスを見せたのがセルティックスのポール・ピアースだった。46得点を叩き出し、勝負を決めた。

試合後、アイバーソンは「ピアースは素晴らしいプレーをした。それがスターってもんだ」と、敗者の立場ながら若きライバルを称えた。

勝負師アイバーソンの魂

このシリーズで、アイバーソンは改めて「負けられない男」であることを証明した。ケガを押して戦い、極限の状況でも闘志を失わなかった。結果は敗退だったが、その姿勢はファンの心に深く刻まれた。

この翌年、シクサーズは再び変革を迎え、アイバーソンも新たな挑戦へと向かっていく。しかし、2001-02シーズンのプレーオフ1回戦で見せた戦いぶりは、彼が真の勝負師であることを証明するエピソードとして語り継がれていくことになる。

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