774-ジェイソン・キッド
ジェイソン・キッドが変えたネッツの運命
シドニー五輪を経て、リーダーとしての風格を増したキッド
2001年夏、ジェイソン・キッドはフェニックス・サンズからニュージャージー・ネッツへとトレードされた。プロ入り8年目、彼はすでにリーグ屈指のポイントガードとしての地位を確立していた。そしてその前年、シドニー・オリンピックで金メダルを獲得したことで、リーダーとしての風格をさらに増していた。
一方、ネッツは長年低迷を続け、プレーオフの舞台にはほとんど縁がなかった。だが、ドラフト上位指名権を得たことで、潜在能力の高い若手を揃えていた。そこへキッドが加わることで、チームは劇的に変貌を遂げることとなる。
キッドがもたらした即効性の変革
キッドがネッツに移籍した2001-02シーズン、チームは一気にリーグ有数の強豪へと変貌を遂げた。前年のネッツは26勝56敗で東の下位に沈んでいた。しかし、キッドが加わったことで、チームは52勝30敗という大躍進を果たし、イースタン・カンファレンスの第1シードを獲得。プレーオフでは18年ぶりのシリーズ勝利を収め、その勢いのままファイナルまで駆け上がった。
この快進撃の最大の要因は、キッドの存在だった。彼のプレースタイルが、チーム全体のレベルを引き上げたのである。
キッドのプレースタイルがチームを変えた
キッドの能力を語るうえで欠かせないのが「周囲の選手を成長させる力」だ。彼は卓越したゲームビジョンを持ち、的確なパスでチームメイトの能力を最大限に引き出した。彼の影響で、ネッツの選手たちは自信を持ち、より良いプレーをするようになった。
特にケニオン・マーティンとのコンビネーションは強力だった。マーティンはもともと身体能力の高いパワーフォワードだったが、キッドの存在によってさらに成長し、オールスターにも選出されるまでになった。しかし、キッドがいなければここまでの選手になれたかどうかは疑問が残る。事実、マーティンは2004年にデンバー・ナゲッツと大型契約を結んだが、その後オールスターには一度も選ばれていない。
また、キッドの影響力はプレーヤーだけに留まらなかった。彼がいるチームには有力選手が集まりたがる傾向があり、引退していたロッドマンが、現役復帰を宣言した際に「自宅がカリフォルニア州なのでレイカーズかキングスに入りたい」としながらも「ネッツであれば東海岸でも受ける」と言っていたほどだった。
2年連続ファイナル進出と、その影響
キッドの加入により、ネッツは2001-02シーズンのNBAファイナルへ進出。結果としてシャキール・オニールとコービー・ブライアントを擁するロサンゼルス・レイカーズにスウィープされたものの、この快進撃はNBA全体に衝撃を与えた。
さらに翌2002-03シーズンも、ネッツは東の覇者として再びファイナルへと進出。今度の相手はティム・ダンカン率いるサンアントニオ・スパーズだった。キッドの統率のもと、ネッツはレイカーズ相手の前年よりも善戦したが、最終的にシリーズ2勝4敗で敗れた。
とはいえ、低迷していたチームをわずか2年で連続ファイナル進出へ導いたキッドの功績は計り知れない。
MVPを逃したキッドの価値
ネッツ移籍1年目でチームをファイナルに導いたキッドは、まさに「チームを変えた」存在だった。しかし、その年のMVPに選ばれたのはティム・ダンカンだった。
確かにダンカンも支配的なシーズンを送り、リーグ屈指のプレーヤーであったことに異論はない。しかし、キッドがネッツに与えた影響を考えれば、彼がMVPを獲得してもおかしくはなかった。
キッドは個人のスタッツを超え、チーム全体を向上させる力を持っていた。彼のような選手は、単なる数字だけでは評価できない価値がある。
まとめ:キッドが築いたネッツの黄金期
ジェイソン・キッドは、ニュージャージー・ネッツをNBAの底辺から東の王者へと押し上げた。その影響力は絶大であり、彼のプレースタイルはチーム全体を変える力を持っていた。
キッドがいたからこそ、ネッツは2年連続でファイナルに進出し、多くの選手が才能を開花させた。そして、彼の存在がNBAの歴史に残るチーム変革の一例となった。
たとえMVPを逃したとしても、ジェイソン・キッドが2001-02シーズンのNBAにおいて最も影響力のある選手の一人であったことは間違いない。
・NBAポスター絵画展がコチラ↓
・手持ちのお金を守りながら着実に増やす投資術がコチラ↓
資産1000万円達成の8つのコツがコチラ↓
初心者向け!資産1000万円達成術8ステップ簡単解説
資産1000万円達成シンプル投資術がコチラ↓
資産1000万円を達成した私のシンプル投資法
資産1000万円達成のおススメ書籍がコチラ↓
資産1000万達成の為に読むべき本
コメント