730-シカゴ・ブルズ
1997-98シーズン――ブルズ王朝の最終章
崩壊の予感
1997-98シーズン、シカゴ・ブルズは前人未到の2度目のスリーピートを目指していた。しかし、このシーズンは当初から不穏な空気に包まれていた。ブルズの首脳陣は高齢化が進むチーム構成と高騰する選手の年俸に頭を悩ませていた。マイケル・ジョーダンには当時としては破格の1年3314万ドルという契約を与えたものの、フィル・ジャクソンHCやデニス・ロドマンとは1年契約しか結ばず、長期的なビジョンを明確に示さなかった。そして、翌年で契約が切れるスコッティ・ピッペンに至っては契約延長の意思を全く見せず、トレード先を探す動きすら見せていた。
「ブルズは崩壊する」。そんな噂が日に日に現実味を帯びる中、トレーニングキャンプ中にジャクソンがシーズン終了後の退団を明言した。これに呼応するかのようにジョーダンも「ジャクソンがいないなら自分も引退する」と公言する。ブルズ王朝の最後のシーズンは『ラストダンス』と名付けられ、全ての視線がこの1年に注がれることとなった。
ピッペンの離脱とジョーダンへの負担
シーズン開始前の10月、ピッペンが左足の手術を受ける決断を下した。この手術の影響で彼はシーズン開幕から2ヶ月以上チームを離れることになる。エースの片腕を失ったジョーダンにかかる負担は一気に増大した。攻守にわたるリーダーシップ、得点、ディフェンス――ジョーダンは全てを背負わなければならなかった。
それでもブルズは勝ち続けた。ロドマンのリバウンド力、スティーブ・カーやトニー・クーコッチといった脇役陣の奮闘、そして何よりジョーダンの驚異的なパフォーマンスによってチームはリーグ首位タイとなる62勝を記録した。シーズン途中から復帰したピッペンも徐々に調子を取り戻し、ブルズはプレーオフに向けて弾みをつけていった。
イースタン・カンファレンスの死闘
プレーオフでもブルズは困難に直面する。イースタン・カンファレンス決勝では、インディアナ・ペイサーズと対決。ペイサーズにはレジー・ミラーというクラッチシューターが君臨し、リック・スミッツやマーク・ジャクソンといったベテランも揃っていた。
シリーズはまさに死闘だった。どちらも一歩も譲らず、第7戦までもつれ込んだ最終戦では、ジョーダンとブルズの経験がものを言った。ジョーダンが冷静に試合を支配し、ブルズは僅差でペイサーズを退けてNBAファイナルへの切符を手にした。
ファイナル再戦――相手はユタ・ジャズ
NBAファイナルの相手は前年と同じユタ・ジャズ。ジョン・ストックトンとカール・マローンという名コンビを擁するこのチームは、一筋縄ではいかない相手だった。
初戦を落としたブルズだったが、第2戦から第4戦まで3連勝し、一気に優勝に王手をかけた。しかし、第5戦で痛恨の敗北を喫する。この試合を通じてジャズは息を吹き返し、第6戦も序盤からジャズのペースで進む。
さらに、この試合ではピッペンが腰の負傷に苦しみ、満足にプレーできない状態だった。ブルズは絶体絶命の危機に立たされた。もしこの試合を落とせば、敵地ユタでの第7戦に突入することになり、勝機はさらに薄くなる。
『ラストショット』――王朝の頂点
試合は終盤に入り、ブルズはわずかにリードを許していた。ここでジョーダンが真価を発揮する。得意のドライブからレイアップを決め、さらにマローンからボールを奪うスティールを成功させる。そして、残り時間5.2秒、ジョーダンはジャズのブライオン・ラッセルを前にジャンプショットを放った。
ボールは美しいアーチを描き、リングを通過。これが『ラストショット』と呼ばれる伝説の一投だ。このシュートでブルズはリードを奪い、そのまま試合終了のブザーを迎えた。スリーピートが完成し、ブルズは8年間で6度目の優勝を果たした。
王朝の終焉
優勝の余韻も束の間、1998-99シーズンは労使交渉のもつれで開幕が遅れる異例の事態となった。そして、開幕が宣言されてからわずか1週間後、ジョーダンは2度目の引退を発表した。
「肉体的にはまだやれるが、精神的に疲れた」と語ったジョーダンの表情は晴れやかだった。彼は全てをやり尽くし、NBAを去る決断を下したのだ。
その後、ブルズは主力選手やジャクソンHCを次々と失い、王朝は完全に終焉を迎えた。しかし、この1997-98シーズンの『ラストダンス』は、NBA史上最もドラマチックな物語として語り継がれている。
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