673-チャールズ・バークレー
ドレクスラーの成功とその影響
クライド・ドレクスラーがヒューストン・ロケッツに移籍して1995年に優勝を果たしたことは、NBAの歴史上重要なターニングポイントとなった。ドレクスラーはポートランド・トレイルブレイザーズで長いキャリアを過ごしたが優勝には手が届かなかった。その後、優勝を求めロケッツに移籍。その決断が見事に報われ、ドレクスラーは初優勝、ロケッツは連覇を達成した。この成功は、キャリアに終盤のチャンピオンリングを狙うベテラン選手たちに大きな希望を与えた。
ベテラン選手の「駆け込み優勝」
ドレクスラーの成功は、多くのベテラン選手に「駆け込み優勝」という動機を与えた。長年チームの顔として活躍し続けてきたが、優勝には手が届かなかった選手たち、キャリアの最後にチャンピオンリングを手に入れるために強豪チームへの移籍を選ぶケースが増加。この現象は「ドレクスラー効果」とも呼ばれることがある。
バークレーの挑戦と失敗
チャールズ・バークレーもまた、優勝を目指してヒューストン・ロケッツに移籍したが、その結果はドレクスラーとは対照的なものとなった。
フィラデルフィア・76ersからフェニックス・サンズへ
バークレーはフィラデルフィア・76ersで長く活躍していたが、チームとの対立から1992年にフェニックス・サンズへ移籍。サンズでは1993年にMVPを受賞し、チームをNBAファイナルに導いた。マイケル・ジョーダン率いる王者ブルズに挑戦したが2勝4敗で敗れた。
サンズへの思いとロケッツへの移籍
バークレーはサンズに対する強い思いを持ち続け、「サンズは我々のチーム。だから最後に勝つのは我々だ」と公言し、ケガを抱えながらも全盛期をサンズで過ごした。ところがサンズの戦力では優勝が狙えないとわかると、96年の夏、衰えが見え始めたバークレーは優勝を狙えるチームへトレードを要求し、ロケッツに移籍してしまう。
優勝への渇望と現実
普段は毒舌で一匹狼的な存在だったバークレーも、チャンピオンリングが欲しいことを認めた。しかし、ドレクスラーとは異なり、バークレーの「ギャンブル」は不成功に終わり、彼は優勝経験のないまま引退することとなった。
結論
クライド・ドレクスラーの成功は、多くのベテラン選手に希望を与えた。 しかし、チャールズ・バークレーの例が示すように、優勝を目指し、戦力が整ってるチームへの移籍は必ずしも成功するわけではない。彼らの決断は「ギャンブル」であり「ギャンブル」に絶対はない。選手たちは、努力しても、優れた才能を持っていても、全てが計画通りに進むわけではないのだ。
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