656-ケビン・ジョンソン
ケビン・ジョンソンのNBAキャリア解説
キャバリアーズでのデビュー
ケビン・ジョンソン(KJ)は、1987年のNBAドラフトでクリーブランド・キャバリアーズに指名され、NBAキャリアをスタートさせた。当時のキャバリアーズにはチームの顔としてポイントガード、マーク・プライスが在籍していたため、ジョンソンの出場機会は限られていた。
サンズへの移籍と躍進
1988年、ジョンソンはフェニックス・サンズにトレードされる。この移籍が彼のキャリアを大きく飛躍させる転機となった。1988-89シーズンには、リーグで最も成長した選手に贈られるMIP(Most Improved Player)を受賞。続く1989-90シーズンには初めてオールスターに選ばれ、その実力を証明した。
闘争心あふれるプレースタイル
ジョンソンはコート上での闘争心をむき出しにし、積極的にペネトレイトするプレースタイルが特徴的だった。彼の果敢なプレーは多くのファンを魅了したが、その一方で時にはフラグラントファウルギリギリのプレイをしてしまうこともあった。しかし、そうした激しいプレースタイルが彼を名実ともにNBAを代表するポイントガードへと成長させた。
バークレーの加入とNBAファイナル進出
ジョンソンがサンズに在籍していた時期、チームはNBAファイナルに進出するための力がまだ足りなかった。そこでサンズは1992年にチャールズ・バークレーをトレードで獲得する。このニュースが話題となった際、ジョンソンがスキンヘッドにしてバークレーを歓迎したエピソードも有名だ。
バークレーの加入により、サンズは1993年にNBAファイナルに進出。ジョンソンとバークレーのコンビネーションは多くのファンを沸かせた。
スラムダンクの宮城リョータのモデル?
ケビン・ジョンソンは、日本の漫画「スラムダンク」の登場人物、宮城リョータのモデルだという噂がある。宮城リョータは、同じく背が低く、素早いドリブルと闘志あふれるプレースタイルが特徴であり、KJと共通点が多い。
終わりに
ケビン・ジョンソンは、その卓越したスキルと闘志あふれるプレースタイルでNBAを代表するポイントガードとしての地位を築き上げた。彼のキャリアは、多くのファンにとって忘れられないものとなっている。
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