182-THE MEMBER OF GHEAT DYNASTY
ビル・ラッセルという存在――勝利を体現した“ディフェンスの神様”の本質
NBAポスターコラムで語られるマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンと並んで、リーグ史を語る上で絶対に外せないのがビル・ラッセルだ。
得点ではなく「勝利」に全てを捧げた稀有な選手。個人成績やハイライトよりも、勝つための行動そのものがキャリアを形作った。
ラッセルは“リング11個”という象徴的な実績ばかりが強調されるが、実際はそれ以上に深い。
今回は、彼のキャリアを貫いた哲学、当時のNBAの環境、そしてなぜ「史上最高の勝者」と呼ばれ続けるのか、その本質まで掘り下げていく。
◆ セルティックス黄金時代を支えた「革命」の中心
1950~60年代のNBAは、まだ戦術もロスター編成も発展途上。
その中でボストン・セルティックスは“王朝”という言葉を定義する存在だった。
その中心にいたのがビル・ラッセルだ。
ヘッドコーチのレッド・アワーバックは、「ラッセルを中心に守りを構築すれば勝てる」と信じ、攻撃の主役を他の選手に任せた。
それがハインソン、クーリー、シャーマン、ジョン・ハブリチェックといった点取り屋たち。
ラッセルは彼らを支える“根幹”であり、守備と勝利の仕組みの中心だった。
得点しないセンターがゲームを支配する――これはNBA史では革命だ。
当時はポスト中心の1on1文化。センターが20点取るのが当たり前だった時代に、ラッセルは“20点を取らないことで勝つセンター”だった。
◆ リバウンド平均20本越えの異常さ
ラッセルのキャリア平均リバウンドは22.5本。
単年で30本を超えた試合が何度もある。
これは単なる身体能力ではなく、「どこにボールが落ちてくるかを読む能力」が異様に高かった証拠だ。
当時の選手たちは口を揃えてこう語る。
「ラッセルは跳んでいるのではない。そこに“いる”んだ。」
ボックスアウト、読み、ルーズボール、すべての判断が早い。
リバウンドは“努力の象徴”と語られがちだが、ラッセルの場合は“状況判断の天才”だった。
◆ ブロックを「統計に残さなかった」男
ラッセルのキャリアの凄さを語る時、必ず出てくる一文がある。
「もし当時からブロックが記録されていたら、ラッセルの数字は想像を絶したはずだ」
ブロックスタッツが導入されたのは1973-74シーズン。
ラッセルはすでに引退していた。
60年代の試合映像を見ると、ラッセルがショットを何本も叩き落としている。
しかも“派手なブロック”ではなく、“得点を無効化するブロック”を何十回も繰り返していた。
本人はこう語ったことがある。
「重要なのはスタッツじゃなくて、ショットを嫌がらせて相手の意識を変えること」
相手がシュートを打つ場所を変え、タイミングを変え、判断を狂わせる。
ラッセルはただ止めただけではなく、“攻撃の構造そのもの”を破壊した。
◆ オフェンスを犠牲にして勝利を選んだ男
ラッセルがキャリアで20点以上取ったシーズンはひとつもない。
これは“得点力がなかったから”ではない。
実際、大学時代のサンフランシスコ大では平均20点以上を記録していた。
つまり「点を取ろうと思えば取れた」。
ではなぜNBAでは得点を追求しなかったのか?
理由はひとつ。
「自分が点を取るより、チームが勝つ確率が上がる行動を優先した」
ラッセルが得点を増やす──
その瞬間、セルティックスは強さを失ったはずだ。
リム周辺での守り、トランジションの起点、スクリーン、リバウンド。
どれかを削って得点に走れば、チームの勝率は落ちる。
選手としてのエゴの排除。
個人成績よりも“勝つための行動”。
それこそがラッセルの哲学だった。
◆ ラッセルが築いた「勝利の方程式」
ラッセルは得点しないのに、コートに立つだけで味方の効率が爆上がりした。
その理由は、彼がコートでやっていた“見えない貢献”にある。
● ① 速攻のトリガーになるリバウンド
ラッセルのリバウンドは、そのまま得点機会につながる。
キャッチ → パスアウト → フィニッシュ
セルティックスの速攻はNBA史に残る武器だった。
● ② ペイントの支配
相手はラッセルがいるだけでドライブを避ける。
これが外角依存につながり、当時の低効率ショットを強制。
● ③ カバー範囲の広さ
ラッセルはスイッチ、ヘルプ、トラップも全てハイレベル。
“守備の中心というより、守備全体の設計者”だった。
● ④ 絶対に折れないメンタル
ラッセルは勝負所に強く、シリーズが長引くほど強くなるタイプだった。
ゲーム7の勝率は驚異の10勝0敗(プレイヤーとして)。
◆ 11リングは“時代の運”ではない
批評家は言う。
「強いチームにいたからリングが多い」と。
だがこれは表面的だ。
ラッセルがいなければセルティックスは“強いチーム”にならなかった。
アワーバックの戦術と、ラッセルという存在が噛み合ったとき、王朝が生まれた。
ラッセルの役割は“強いチームのセンター”ではなく、“強さそのものの源泉”。
◆ ファイナルMVPのトロフィーに刻まれた名前
現在のファイナルMVPは「ビル・ラッセル賞」と呼ばれる。
これはNBAが公式に
“勝利の哲学を体現した選手”
としてラッセルを認めた証だ。
得点王でもなければ派手なハイライトの持ち主でもない。
にもかかわらず、ラッセルは「勝者」の象徴として名を遺した。
リングの数は記録。
哲学は伝説。
それがビル・ラッセルだ。
◆ 最後に:ラッセルの価値は“数字の外側”にある
現代のNBAは数字や個人成績が重視される時代になった。
PER、WS、RPM、EPMなど、選手の価値を測る指標は山ほどある。
だがラッセルの価値は、そのどれにも収まりきらない。
「コートに立つだけで勝率が最大化される人間」
これは歴代でもほぼ唯一のタイプだ。
ジョーダンが頂点を極め、マジックがショータイムを演出し、コービーとレブロンが時代を引き継いだ。
そのすべての物語の“根底”には、ラッセルが築いた「勝つとは何か」の概念がある。
NBAの歴史を語るとき、ラッセルは常にその“基準”にいる。
勝利を最優先にした男が、スポーツの本質を体現していたからだ。
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