NBAポスターコラム172:あの黄金世代に生まれた“最大の分岐点”。ピストンズの2位指名が示したものとは、、、。

NBAポスターコラム
172-アメリカ代表レブロン&メロ&ウェイド

172-アメリカ代表レブロン&メロ&ウェイド

もしピストンズが“メロ”を獲得していたら?──歴史を揺らした2003ドラフトの分岐点

NBAの歴史には、ほんの少しの判断の違いで王朝が生まれたり崩れたりする“ポイント”がある。
その中でも特に「物語の余白」が大きいのが、2003年NBAドラフトでデトロイト・ピストンズがカーメロ・アンソニーを指名しなかった件だ。

1位はレブロン、3位はメロ、5位はウェイド。
誰がどう見ても超・豊作の年。
そんな中で全体2位指名権を持っていたのが、よりによって“守備の牙城”ピストンズだった。

当時19歳のカーメロが、あの04年チャンピオンチームにいたらどうなっていたのか?
NBAファンにとって永遠の論争であり、メロ本人も「デトロイトなら2~3回は優勝してた」と語っている。

ここでは、その“もし”を深掘りしつつ、2003年とともに語られる「豊作ドラフトの歴史」まで一気に整理しよう。


2003年ドラフトはなぜ“歴代屈指”なのか

03年組は、今なお語られる黄金世代だ。
レブロン・ジェームズ、カーメロ・アンソニー、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュ。
この4人だけで時代を10年以上動かした。

全員がフランチャイズの顔になり、のちに優勝や殿堂入りに絡んでいく。
ただし、このラインナップにはひとつ大きな「違和感」がある。

――全体2位、デトロイトの選択だ。

ピストンズは4名のうち誰も指名しなかった。
選んだのはセルビアのビッグマン、ダーコ・ミリチッチ
もちろん当時の評価が低かったわけじゃない。
“ヨーロッパ発のユニコーン”として期待されていたし、ピストンズは組織的ディフェンス中心のチームで、即戦力スコアラーよりサイズあるビッグマンを優先した。

しかし結果は知ってのとおり。
ミリチッチはローテーションに入れず、チームの“最後のピース”にはなれなかった。


もし2位でメロを指名していたら……?

ここからが本題。
メロがピストンズに来ていたら、何がどう変わっていたのか?

まず、04年ピストンズの完成度は歴史屈指だった。

  • ビラップス
  • ハミルトン
  • プリンス
  • ラシード
  • ベン・ウォレス

守備の結束力は鳥肌もの。
しかも球離れの良いハーフコート主体のバスケット。
彼らがシャック&コービーのレイカーズを“戦術で封じた”のは象徴的だった。

じゃあここにメロが入ったら?

1:得点力の“明確な解決法”を得たピストンズ

ピストンズはチームバスケの象徴で、得点源は分散していた。
それでも「爆発的なスコアラー」はいなかった。
04年ファイナルでこそ問題にならなかったが、長期的には改善したいポイントだった。

そこでメロだ。

彼はルーキーイヤーから平均20.8点を叩き出した本物のスコアラー。
この得点力が、デトロイトの“弱点の穴埋め”としてドンピシャだった可能性は高い。

2:プリンスとの役割衝突はあったが、深刻ではない

当時のSFは“影の守護者”テイショーン・プリンス。
サイズと粘りでコービーやピアースを封じた名ディフェンダーだ。

メロが来ればポジションはかぶる。
だが、どちらかをベンチに回すだけで戦力アップになるし、
“攻撃のメロ × 守備のプリンス”のローテーションは普通に強い。

3:長期的には“優勝2〜3回”は現実的だった

カーメロ自身が語った言葉だが、実際説得力がある。

  • 04年…優勝
  • 05年…スパーズと互角(決着は第7戦)
  • 06〜07年…東の混戦を抜ける実力は十分

特に05年は極めて紙一重。
そこにメロという“1on1で点を取れるカード”があれば、流れを変えた瞬間は多かったはず。


それでもピストンズは“ビッグマン主義”を曲げなかった

この時代のNBAは、まだまだサイズ重視のリーグだった。
ピストンズは「守備で勝つチーム」だったため、19歳のスコアラーより“完成形に近い万能ビッグマン”を求めていた。

ミリチッチの評価は決して悪くなかった。
ただ、ピストンズという“優勝寸前のチーム”にとっては、
彼は未来への投資すぎた。

「即戦力のメロを取るべきだった」というのは、結果を知っている我々の視点だ。


歴史が“豊作ドラフト”を語る理由──1984年ドラフト

メロの話と並行して語られるのが、1984年の最強ドラフトだ。

  • マイケル・ジョーダン
  • アキーム・オラジュワン
  • ジョン・ストックトン
  • チャールズ・バークレー

殿堂入り、オールスター、MVPが当たり前のように並んでいる。
ドラフト1巡目の半分以上がオールスター級。
今でも「史上最高のドラフトは84年で確定」という声が多い。

ちなみにこの年、シカゴ・ブルズはカール・ルイスまで指名している。
陸上界のレジェンドをドラフトするという、今ではあり得ない“遊び”が存在した時代だ。


03年組と84年組──“個で支配した時代”の象徴

84年組はスターが時代を塗り替え、
03年組はスター同士が競い合う時代を築いた。

どちらもリーグの流れを大きく変えた黄金世代。
特に03年組は“仲間意識の強さ”が特徴で、バナナボートの象徴はあまりにも有名だ。

そんな歴史の中で、2位ピストンズの選択は今も語り継がれる「もし」の代表例。
もしメロがデトロイトに来ていたら、彼のキャリアはもっと“勝利”に彩られていたのは間違いない。


まとめ──2003年の小さな判断は、NBAの大きな歴史だった

  • ピストンズはメロを指名できた
  • その判断が、04〜07年のNBA勢力図を左右した
  • メロがいればピストンズは複数優勝の可能性もあった
  • 2003年は84年に並ぶ豊作ドラフト

NBAの歴史は、“たった1つのドラフトの選択”で大きく変わる。
2003年と1984年は、その象徴だ。

そして今もファンは考える。
「もし、ピストンズがメロを指名していたら?」と。
この問いは、これから先も語り継がれる名テーマであり続ける。

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