NBAポスターコラム165:世界を驚かせたトレードの真実。ジェイソン・ウィリアムズが“勝てるPG”に変わるまでの物語・・・。

NBAポスターコラム
165-ジェイソン・ウィリアムズ

165-ジェイソン・ウィリアムズ

ジェイソン・ウィリアムズ──“ホワイト・チョコレート”がNBAを駆け抜けた時代

かつてNBAに、「常識」をひっくり返したポイントガードがいた。
名前はジェイソン・ウィリアムズ。
“ホワイト・チョコレート”というニックネームが象徴するように、彼はただのPGではなかった。華やかで危うくて、そして誰よりも観客を熱狂させた存在だ。


■ グリズリーズが「世界を驚かせよう」と動いた日

2001年6月27日、マイク・ビビーとジェイソン・ウィリアムズのトレードが発表された瞬間、NBAファンの反応は真っ二つに割れた。

「なんでビビーを手放す?」
「ウィリアムズは派手なだけだろ?」

そう言われたのも無理はない。ビビーは堅実で、判断力に優れた“正統派PG”。一方、ウィリアムズはストリートボーラーのようなプレイでハイリスク・ハイリターンを体現する男。
グリズリーズのGMはこのトレードを「世界を驚かせる動き」と表現した。だがその裏には、“チームを退屈から救いたい”という思惑があった。

フランチャイズがバンクーバーからメンフィスに移転し、新しいファンベースを築く必要があった時期。
勝敗以上に“話題性”が求められていた。
その象徴こそが、ジェイソン・ウィリアムズだった。


■ 「派手さ」の中にあった改革の努力

サクラメント時代、ウィリアムズは天才肌の司令塔として一世を風靡した。
だが同時に、不要なノールックやトリッキーなプレイが批判を浴びたのも事実だ。ターンオーバーが多く、安定感に欠ける。
ただ、メンフィスに移ってからの彼は違った。

「アシストでチームを勝たせるPGになりたい」
そう語って臨んだ02‐03シーズン、彼は平均8.3アシストでリーグ2位にランクイン。
華やかさは残しつつ、プレイメイクの精度が格段に上がった。ターンオーバー数もキャリア最低レベルに抑え、チームを安定させる方向へ舵を切った。

かつての「観客を沸かせるプレイ」は、“勝つためのパス”へと変わっていた。


■ 03‐04シーズン、メンフィス50勝の立役者

ウィリアムズが本当の意味で成熟したのが、2003‐04シーズンだった。
当時のメンフィス・グリズリーズは若いチームだったが、ヒューバート・ブラウンHCの下、戦術的な秩序を重んじるチームに変わりつつあった。
そこにウィリアムズがフィットするのか、多くの人が疑問視していた。

だが結果は驚くべきものだった。
グリズリーズはフランチャイズ史上初の50勝を達成。
西の強豪たちと互角に渡り合うまでに成長した。

ウィリアムズは平均10.9得点、6.8アシスト、そしてキャリア最低レベルのターンオーバー数を記録。
あの“暴走する天才”が、チームバスケットの中で正確に機能するようになっていた。

何より印象的だったのは、プレイの「間」だ。
かつてはスピードでねじ伏せていたが、この頃のウィリアムズはリズムを操る達人になっていた。速攻でも、ハーフコートでも、彼がドリブルをつくだけで観客が息をのむ。
次の瞬間、信じられない角度からノールックパスが飛び、パウ・ガソルがダンクを叩き込む。
それが“メンフィス・マジック”の象徴だった。


■ 「芸術」と呼ばれた理由

ウィリアムズのパスは見た者が思考するより先に、ボールは味方の手に届いている。
ドリブルチェンジ、背面パス、タップパス――それらは単なるテクニックではなく、観客とチームメイトの“心拍”を同調させる術だった。

ただ速いだけではない。
その一瞬に「物語」がある。
ノールックパスを出す直前、わずかに首を振る。相手がそっちに釣られた瞬間、逆サイドへ通す。観客は“読まれた”ディフェンスに歓声を上げる。
それが彼の“芸術”だった。


■ ファンが今も惹かれる理由

ジェイソン・ウィリアムズを語るとき、人々はよくこう言う。
「二度と出てこないタイプの選手だった」と。

確かに彼のように、スタッツ以上に“感情を動かす”PGは稀だ。
彼はMVPを取っていないし、オールスターにも出ていない。だが、彼のハイライトは今もSNSで再生され続けている。
彼を見てNBAにハマったファンがどれだけいることか。

なにより、彼の存在は「NBA=エンターテインメント」であることを思い出させてくれる。
勝利だけがすべてではなく、“観る喜び”がここにある。
そのことを、彼は体現していた。


■ その後のキャリアと円熟

メンフィスで成熟したウィリアムズは、2005年にマイアミ・ヒートへトレードされる。
そこにはシャキール・オニール、ドウェイン・ウェイドがいた。
かつての“暴走する芸術家”は、優勝を狙うチームの正PGとして求められた。

2006年、ヒートはNBA制覇。
ウィリアムズは平均12.3得点、4.9アシストで安定感を見せ、決して目立たないが、チームに必要な役割を果たした。
「トリックパスの男」ではなく、“勝者の司令塔”にもなった。

それでも、彼の中にあったストリートの魂は失われなかった。
試合のテンポが停滞すると、彼は必ず“遊び心”を持ち込んだ。
バックパス、フェイク、時には大胆なクロスオーバー。
観客を楽しませることを忘れない。それがジェイソン・ウィリアムズの哲学だった。


■ 数字に残らない「記憶」の支配者

キャリア通算:得点10.5、アシスト5.9。
決して派手なスタッツではない。
だが、ウィリアムズを数字で語ることほど無意味なことはない。
彼の真価は、“記憶の中のプレイ”にある。

2000年のノールック肘パス。
キングス時代のプレー。
マイアミでの優勝。
どれも観客の記憶に焼きついて離れない。

NBAはスコアと勝敗を競う場所だが、同時に“記憶を競う舞台”でもある。
その意味で、ジェイソン・ウィリアムズは間違いなく勝者だった。


■ まとめ:唯一無二の“ホワイト・チョコレート”

ジェイソン・ウィリアムズは、NBA史に残る異端児であり革命児だった。
ビビーとのトレード当初は“不当”とまで言われたが、結果的にグリズリーズを50勝に導いた。
そして彼の存在は、バスケットボールが「芸術になり得る」ことを証明した。

ルールを守りながらも、それを楽しむ。
観客に夢を見せ、仲間にリズムを与え、ディフェンスに混乱をもたらす。
彼がコートに立つだけで、空気が変わった。
それが“ホワイト・チョコレート”という唯一無二の存在だ。

今のNBAでは、アシストもショットも効率が求められる。
だが、数字の向こうに「心を動かす選手」がいた時代を、ジェイソン・ウィリアムズは象徴している。

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