95-バードvsマジック
バードとマジックがNBAを変えた物語
停滞していたNBAの70年代
1970年代のNBAは、今の華やかさからは想像できないほど不人気に苦しんでいた。
ウィルト・チェンバレンやビル・ラッセルが去り、リーグの看板はジャバー(カリーム・アブドゥル=ジャバー)やドクターJことジュリアス・アービングだった。彼らは確かに偉大なスターだったが、ABAとの競合やドラッグ問題、そして観客の減少という深刻な課題がリーグ全体を覆っていた。
試合のテレビ中継も深夜に録画で流されることが多く、メジャースポーツとしての地位はNFLやMLBに遠く及ばない。人気は落ち込み、NBAは存在感を失いつつあった。
1979年の衝撃的なデビュー
そんな低迷期に登場したのが、ラリー・バードとマジック・ジョンソンだ。
1979年に揃ってデビューした2人は、正反対のスタイルとキャラクターでリーグの顔となり、NBAを再び脚光の下に引き上げる存在となった。
- ラリー・バード:インディアナ州出身の白人フォワード。身体能力では劣るが、ずば抜けたシュート力とバスケIQを武器に戦った。
- マジック・ジョンソン:ミシガン州出身の黒人ガード。206cmのサイズを誇りながら、華麗なノールックパスと笑顔で“ショータイム”を象徴する存在となった。
まさに「コントラストの妙」であり、この2人のライバル関係がNBA人気を押し上げていく。
バードの武器:シュート力と頭脳
ラリー・バードの魅力は、決して派手ではないが確実に試合を支配する力だった。
彼はジャンプ力やスピードで勝負するタイプではなく、独特のフォームから放たれるジャンプショットで観客を魅了した。特に3ポイントシュートは美しい放物線を描き、ネットに吸い込まれるように決まっていった。
さらに、バードはオールラウンダーとしても一流だった。
通算で59回のトリプルダブルを達成し、リバウンド・パス・得点のすべてでチームを引っ張った。加えて“勝負強さ”も突出しており、クラッチタイムでは必ずボールを持ちたがり、そして結果を残した。
彼の存在は、冷静沈着でありながら闘志に満ちた“バスケの職人”という印象をNBAに残した。
マジックの武器:サイズと華麗な演出
一方のマジック・ジョンソンは、その名の通り「魔法のようなプレイ」で観客を熱狂させた。
206cmという長身ながらポイントガードを務め、コートを縦横無尽に駆け回る。彼の代名詞であるノールックパスは、相手だけでなく味方すら一瞬戸惑うほど鮮やかで、レイカーズの速攻は「ショータイム」と呼ばれるエンターテインメントへと進化した。
また、マジックは大舞台に強かった。
NBAファイナルではルーキーながらセンターを務め、フィラデルフィア・セブンティシクサーズを相手にチームを勝利に導いたエピソードは今も語り草だ。土壇場でブザービーターを沈める姿も多く、“勝者の遺伝子”を象徴する選手だった。
セルティックスとレイカーズの宿命
バードはボストン・セルティックス、マジックはロサンゼルス・レイカーズ。
アメリカ東西を代表する伝統の2チームにそれぞれ加入したことで、リーグ全体は「宿命のライバル物語」を得た。
1980年代はセルティックス対レイカーズの時代。
両者は3度ファイナルで激突し、NBA史に残る名勝負を演じた。白人のヒーローと黒人のスーパースター、東海岸と西海岸という対比もあり、アメリカ全土が熱狂した。視聴率は跳ね上がり、NBAは再び「観るスポーツ」として復活したのだ。
リーグへの影響
バードとマジックの登場は、単なるスター選手の出現ではなかった。彼らが成し遂げたことは以下の通り。
- NBA人気の再燃
全米中継の視聴率が上昇し、スポンサーも戻ってきた。NBAは再びメジャースポーツの座に返り咲いた。 - 新たなスター像の確立
バードは知性とシュート力、マジックは華麗なプレイと笑顔でファンを惹きつけた。多様なスター像を提示したことで、観客層の幅が広がった。 - 後世への影響
マイケル・ジョーダンをはじめとする次世代のスーパースターたちは、バードとマジックが切り開いた“スターがNBAを動かす”時代の上にキャリアを築いた。
まとめ:NBAを蘇らせた二人の巨人
1979年にデビューしたラリー・バードとマジック・ジョンソンは、暗黒期のNBAに光を差し込んだ存在だった。
バードは職人肌の勝負師として、マジックは華やかな演出家として、リーグを再び魅力的な舞台へと変えた。
彼らがいなければ、マイケル・ジョーダン時代の到来も、今日のグローバルなNBA人気も存在しなかったかもしれない。
NBAの歴史を語る上で、この“バードとマジックの物語”は決して外せない章である。
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