NBAポスターコラム64:その時、ボストンが動いた――ケビン・ガーネットが選んだ道の先にあったものは、、、。

NBAポスターコラム

64-ボストン・セルティックス・ビッグ3

ガーネットが動いた夏、セルティックスが変わった

低迷の終わりを告げる一手

2006-07シーズンのNBA。ミネソタ・ティンバーウルブズは、またしてもプレーオフを逃し、ウェスタン・カンファレンス13位に沈んでいた。22.4得点、12.8リバウンドというケビン・ガーネットの“いつもの”個人成績に関わらず、チームは勝てなかった。

彼はこのシーズンで4年連続リバウンド王を達成。まさに“鉄人”そのもので、勝利のためにすべてを捧げる姿勢は誰もが知っていた。だが、ミネソタでの12年間でプレーオフの1回戦を突破したのは一度きり。キャリアのピークを浪費しているという声も強まり、ついにガーネットは大きな決断を迫られることになる。

一方、東のボストン・セルティックスも状況は芳しくなかった。2006-07シーズンは24勝58敗。ポール・ピアースというフランチャイズスターはいたが、チームは再建中でイースト最下位。そこでGMのダニー・エインジは賭けに出る。まずは2007年のドラフト当日に、シアトル・スーパーソニックス(現サンダー)からレイ・アレンをトレードで獲得。これが、すべての始まりだった。

7対1の超大型トレード

ガーネットの争奪戦には多くの球団が名乗りを上げた。だが、セルティックスはその中でも圧倒的な条件を提示した。アル・ジェファーソン、セバスチャン・テルフェア、ライアン・ゴメス、ジェラルド・グリーン、セオ・ラトリフ、さらに2009年と2010年の1巡目指名権という“実質7対1”のトレードで、ケビン・ガーネットを引き抜く。

この動きの裏には、「優勝を本気で狙う」というメッセージが込められていた。レイ・アレンというリーグ屈指のシューターの加入を見て、ガーネットもついに決意。長年過ごしたミネソタを去り、ボストンへと活躍の場を移すことを選んだ。

こうして2007年夏、ポール・ピアース、レイ・アレン、ケビン・ガーネットという“BIG3”が正式に結成される。

優勝パレードへの道を歩ませたリバース

ヘッドコーチのドック・リバースは、このBIG3の結成が決まった際、シーズン前にある行動に出る。彼は3人をボストン市内の優勝パレードが通る道へと連れていき、「ここを歩きたいか?」と語りかけた。

これは、彼らが一枚岩になるためのマインドセットだった。スター選手が3人集まれば自動的に勝てるというわけではない。自己犠牲、役割分担、チームワーク。そういった細部に魂が宿る。

このメッセージは、BIG3の心に火をつける。

ディフェンスこそが全てだった

2007-08シーズンのセルティックスは、攻撃力以上に守備のハードさでリーグを席巻した。

ガーネットはセンターでもパワーフォワードでも守れる万能型ディフェンダー。彼のリーダーシップは数字以上にチーム全体を引き締めた。ピアースとアレンもそれぞれディフェンス意識を高め、ロンドやパーキンスといった若手が補完する形で、ボストンはNBA屈指の守備チームへと変貌する。

シーズンを通して66勝16敗。前年の24勝から、実に42勝ものジャンプアップを果たした。

この躍進は、まさに“BIG3”の相乗効果の証明だった。

激闘のファイナル、宿敵との対決

プレーオフではホークス、キャブス、ピストンズといった強敵を下し、NBAファイナルでは永遠のライバル、ロサンゼルス・レイカーズと対戦する。

コービー・ブライアントという怪物を中心としたレイカーズにセルティックスはまったく臆さなかった。

シリーズを通してハードな守備と組織的なオフェンスで上回り、第6戦では歴史的な blowout(131-92)で圧勝。悲願の優勝を成し遂げた。

その瞬間、パレードの道を歩いた3人は、本当に“あの場所”に立つ資格を手に入れたのだ。

NBAの構造を変えたBIG3の衝撃

このセルティックスの成功は、その後のNBAの勢力図に大きな影響を与えた。スター選手が同じ志を持って集まり、勝利を追求する「スーパーチーム」時代の幕開けとなったからだ。

2010年にはレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュがマイアミで合流し、新たなBIG3が生まれる。このムーブメントの“原点”が、2007年のセルティックスにあったのは間違いない。

さらに、その後のウォリアーズ、ネッツといったチームも、スター集合型チームを構築。こうした流れは、2010年代NBAの主流となっていく。

まとめ:12年の忠誠が導いた栄光

ケビン・ガーネットが12年間尽くしたミネソタを去るという決断は、彼にとって人生最大の転機だった。

だが、その選択がなければ、あの優勝も、あの防御の堅さも、あの“パレードの道”も存在しなかった。

BIG3は単なるタレントの集合ではなかった。それぞれが苦しみ、敗れ、報われなかった過去を抱えていたからこそ、勝利の重みを知っていた。彼らが一つになったことで、ボストンは再び「王者の街」となった。

そして、その物語は、いまでも多くのファンの記憶に焼き付いている。

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