55-デロン・ウィリアムス
全盛期デロン・ウィリアムスというPGの期待感。
かつて「リーグ最強のポイントガードは誰か?」という議論の中で、クリス・ポールと並び称された男がいた。そう、デロン・ウィリアムスだ。
ジョン・ストックトン以降のジャズで、最も夢を見せてくれたPG。IQ、フィジカル、判断力、パスセンス、得点力、守備力。すべてがハイレベルでまとまった、まさに“完成形”の司令塔だった。
肉体から創られたオールラウンドスキル
デロン・ウィリアムス最大の強みは、その体の厚みにあった。PGとは思えないガッチリした体格。身長191cm、体重約95kg。その体格を活かして、相手ガードに当たり負けしないどころか、押し込むことすらできた。垂直跳び89cmという数字は、肉体のフレームからすれば驚異的だ。彼のジャンプは必要な場面でこそ真価を発揮する。
守備では、その肉体がそのまま壁になる。スイッチディフェンスでビッグマンとマッチアップしても当たり負けしない。ボールハンドラーに対しては、圧をかけながら距離を詰め、物理的なプレッシャーでコントロール不能にさせる。正直、当時のリーグでこれだけ守れて、かつオフェンスでも一級品だったPGは他にほぼいなかった。
コートビジョンとパッシングスキル
彼の視野の広さも特筆すべきだった。密集地帯のペイントエリアでも慌てない。ヘルプが飛んでくる前にキックアウトのパスを出し、コーナーのシューターを活かす。ロールマンとのピック&ロールは芸術的で、パスのタイミング、角度、スピードの三拍子が完璧だった。
2007~2010年あたりは、アシスト平均が約10前後を維持しながら、自ら得点も平均18~21点前後を叩き出していた。特に2009-10シーズンのスタッツは平均18.7得点、10.5アシスト。しかもフィールドゴール成功率は46.9%。効率も申し分なかった。
ショットクリエイション能力も一流
D-Willのもうひとつの魅力は、シュートを自らクリエイトできたこと。ステップバックからのジャンパー、タイトなディフェンスの上からでも沈める3ポイント、フィニッシュまで持ち込むドライブ。すべてがレベル高くまとまっていた。
そしてD-Willにダンクの印象は少ない。それは事実だ。ただ、必要な場面で彼はしっかり叩き込んでいた。していた。ペネトレイトからヘルプDFが遅れた瞬間に、片手でぶち込む。変にひねらない、シンプルで実用的なパワーダンク。チームを鼓舞するには十分だった。
ジェリー・スローンとの蜜月と軋轢
ジャズ時代のD-Willを語る上で外せないのが、名将ジェリー・スローンとの関係。スローンの厳格なシステムの中で、D-Willは規律と自由のバランスを見出した。ジャズのオフェンスは、ハーフコートでの精密な動きとタイミングが肝。そこにD-Willの判断力と身体能力が加わり、システムの完成度を一気に高めた。
しかし2011年、スローンが電撃辞任。きっかけが「D-Willとの確執」と報道されたことは、今なお議論を呼ぶ。この出来事を境に、D-Willのキャリアも少しずつ陰りを見せ始めた。
ネッツ移籍と“期待”とのギャップ
ブルックリン・ネッツへの移籍は、D-WillがリーグのトップPGであることを証明するチャンスだった。大型契約、移籍に伴う話題性、マーケットの大きさ。すべてが“スター”としてのステージを用意していた。
しかし、膝の慢性的な負傷やチームの迷走もあり、ジャズ時代のような輝きは戻らなかった。得点もアシストも減少し、プレースタイルもやや中途半端に。あれほど優れていたフィジカルが、皮肉にも衰えとともに彼の価値を急落させていった。
それでも語り継がれるべき“全盛期”
2010年前後のデロン・ウィリアムスは、本気でリーグNo.1 PGの称号を争っていた。CP3との議論は何度も繰り返されたし、「あのままジャズに残っていれば…」という“if”もよく語られる。
ただ、実際にあのタイミングで彼がリーグのPGの“頂”にいたことは、紛れもない事実。フルスペックのD-Willは、コート上で一切の弱点を感じさせなかった。攻守、IQ、体格、気迫――すべてを兼ね備えたトータルバランス型PGの完成形だった。
D-Willのキャリアが完全燃焼とは言えなかったのは間違いない。でも、それでも一時代を引っ張る存在という事実は消えない。パワー、堅実性、勝負強さの3拍子で、デロン・ウィリアムスは“頼れるPG”であった。
・「NBA仮説ラボ|NBAの「もし」を考察する実験室」がコチラ↓

・NBAポスター絵画展がコチラ↓
・その他の投稿がコチラ↓
