52-メロ&AI
神は人の画策を笑う――アイバーソン×カーメロ、夢の共演が現実になった日々
“衝撃のトレード”が起きた背景
2006年12月、NBAはひとつの爆弾ニュースで揺れた。アレン・アイバーソン、移籍。フィラデルフィア・セブンティシクサーズの象徴にして、あの2001年にたった一人でNBAファイナルまでチームを牽引した“ジ・アンサー”が、ついに新天地へと旅立った。
シクサーズでは長年に渡って孤軍奮闘を続け、年々チーム状況が悪化していたなか、もはや周囲との関係性も冷えきっていた。移籍話は毎年のように浮上し、2006年12月、ブルズ戦を最後に“チームを離脱”という強硬手段に出る。そして約2週間後、デンバー・ナゲッツとのトレードが正式に成立。アイバーソンはロッキー山脈の地で、新たな挑戦を始めることになった。
ただし、カーメロ・アンソニーが率いるナゲッツはニックス戦で大乱闘が勃発。相手にパンチを放ったカーメロは15試合の出場停止処分を食らい、エース不在の状態であった。
そこにアイバーソン。ファンとしては“救世主”のように映っただろう。カーメロとアイバーソン。どちらもリーグ屈指のスコアラーであり、見ていてこれほど派手で、感情を揺さぶるデュオはいない。理屈抜きにワクワクさせる組み合わせだった。
合わせて平均50点超の“スコアリングデュオ”
このときのアイバーソンとカーメロは、どちらも平均25点オーバー。アイバーソンはシクサーズ時代にスコアラーとしての地位を確立し、いわば絶対的なエースとしての気概を引っ提げてナゲッツに加わった。対するカーメロも、デビューから順調にスター街道を突き進み、すでに得点を取る手段は高いレベルで完成されていた。
2人を同時起用すれば、単純計算で毎試合50点以上を計算できる。それだけでチームにとっては得点源が安定し、ゲームメイクの軸が明確になる。特に当時のナゲッツはテンポの早い攻撃を好むチームで、トランジションでもアイバーソンのスピードとカーメロの多彩さが絶妙に噛み合う可能性があった。
事実、共闘初年度となった2006-07シーズン、2人は共に平均で高得点を記録し、チームはプレーオフに進出。見た目のインパクトは申し分なく、観客の盛り上がりも凄まじかった。
だが、華やかさの裏に潜む“ズレ”が、じわじわとチームを蝕んでいく。
「共存」という名の幻想
当時、2人の共演に最も付きまとったワードは「共存できるのか?」という問いだった。
アイバーソンはボールを持ってリズムを作るタイプ。攻撃のスイッチを自ら入れて、瞬間的な加速でディフェンスを崩す。そのスタイルは長年の中で確立されており、今さら変える気配はなかった。
一方のカーメロも、基本的にボールを持った状態で自分のリズムを作る選手。キャッチ&シュートもできるが、ポストアップやアイソレーションでじっくり仕掛けていくプレイスタイルがメインで、当然ながらボールを止める時間が長い。
この2人が一緒にコートに立つとどうなるか?ファーストブレイク以外は当然、ボールが停滞する。アイバーソンが仕掛けてカーメロが止める。あるいは、カーメロが時間を使って、アイバーソンがスペーシングに回る。どちらも“待つ時間”が生まれ、それがチームのリズムにズレを生じさせた。
コーチのジョージ・カールはこの共存に苦心した。どちらもスタープレイヤーである以上、明確な役割の上下はつけられない。プレイタイムも、ポゼッションも、得点も、全てが曖昧なまま「うまくやってくれ」という空気に委ねられていた。
結果として、2006-07、2007-08と2年連続でプレーオフ1回戦敗退。特に2008年は、コービー率いるレイカーズに4連敗を喫する完敗だった。
スタッツは残す。だが勝利は遠い
皮肉なのは、スタッツだけを見れば2人とも素晴らしい成績を残していたこと。ファンからすれば「アイバーソンもカーメロもやることはやってるじゃん」と思えるはずだ。
実際、2人が同時に30点を超えた試合も数多く、1試合合計で60点オーバーの“爆撃”もあった。だが、それが勝利に繋がらない。ディフェンスの連携、ボールムーブ、スペーシング。細かい部分が全て“かみ合わない”ことで、結果的に敗戦が続いた。
NBAというリーグは、“タレント”だけで勝てるほど甘くない。特にウェスタン・カンファレンスは群雄割拠の戦国時代。カーメロとアイバーソンの2人では、ケミストリーの完成度という点で他チームに後れを取っていた。
“終わり”は突然に
2008年、アイバーソンはトレードでデトロイト・ピストンズへと送られる。代わりにナゲッツが獲得したのは、チームバスケットを体現する男、チャウンシー・ビラップスだった。
この交代劇は、チームにとってはターニングポイントとなる。ビラップス加入後、ナゲッツはカンファレンスファイナルまで進出。皮肉にも、アイバーソン退団後にチームが開花した。
その後、カーメロも2011年にはニックスへと移籍。アイバーソンとの共演期間は、わずか約2年。夢のような時間は、あまりに儚く過ぎ去っていった。
それでも、心には残るものがある
たしかに、アイバーソンとカーメロのデュオは失敗だった。勝てなかった。化学反応も起きなかった。
でも、それでもなお、この2人の共演には「夢」があった。NBAを好きな者にとって、こういう“もしも”の結集は、時に勝敗以上の価値を持つ。夜中にハイライトを追いかけ、明け方にボックススコアをチェックするファンにとって、彼らの存在は「NBAを追う楽しさ」そのものだった。
だからこそ、あのデュオを振り返るとき、どうしてもこんな言葉が頭をよぎる。
――神は人の画策を笑う。
勝てるはずの構想も、計算通りにいかないのが現実。それでも、誰かが夢を見て、信じて、コートに立ったこと。それだけは、笑う神の眼差しの中でも、誇るべきことだったと思う。
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