763-歴代MVP
誰も侵せない「神の領域」 マイケル・ジョーダンの偉大なる軌跡
序章:バスケットボールの神と呼ばれた男
バスケットボールの歴史において「史上最高のプレーヤーは誰か?」という議論が交わされることは少なくない。だが、多くの人にとってその答えはシンプルだ――マイケル・ジョーダン。舞台が大きくなればなるほど、ジョーダンは常人では辿り着けない次元でプレーし、勝利を掴み取った。
しかし、その神話が完成するまでの道のりは決して平坦ではなかった。キャリア前半、彼は2つの巨大な壁に立ちはだかったのだ。
第1の壁:ラリー・バード率いるセルティックス
1984年のドラフトでシカゴ・ブルズに3位指名されたジョーダンは、1年目からリーグを席巻する活躍を見せ、”エア”ジョーダンとして注目を集める存在になった。しかし、プレーオフに進出しても、勝ち上がることは簡単ではなかった。
特に苦しめられたのが、ラリー・バード率いるボストン・セルティックス。1986年のプレーオフ1回戦、ジョーダンはバード率いる強豪に挑んだ。結果はスウィープ(0勝3敗)での敗退だったが、その中でジョーダンはNBA史に残る伝説を生み出す。
第2戦、ジョーダンは歴代プレーオフ記録となる1試合63得点を叩き出した。バードは試合後にこう語っている。
「今日は神がジョーダンの姿を借りてプレーしていたに違いない。」
この試合は敗れたものの、ジョーダンが特別な存在であることをバスケットボール界全体に知らしめる出来事だった。
第2の壁:「ジョーダンズ・ルール」を敷いたピストンズ
セルティックスとの激闘を経て、ジョーダンはさらなる成長を遂げるが、次に立ちはだかったのがアイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズだった。
80年代後半のピストンズは「バッドボーイズ」と呼ばれ、強硬なディフェンスで相手を粉砕するスタイルを確立していた。そして彼らはジョーダンを封じるために「ジョーダンズ・ルール」を編み出す。
- ジョーダンがボールを持ったら即座にダブルチーム
- ペイントエリアに入ったら激しく体をぶつける
- 空中に飛び上がったら迷わず叩き落とす
ピストンズはこの戦略でジョーダンを抑え込み、1988年、1989年、1990年と3年連続でブルズをイースタン・カンファレンス決勝で撃破した。
伝説の幕開け:1991年、初優勝への道
何度もピストンズに跳ね返されたジョーダンは、身体を鍛え直し、チームプレーを重視するスタイルへと進化した。そして1991年、ついにその時が訪れる。
イースタン・カンファレンス決勝で再びピストンズと対戦したブルズは、これまでの鬱憤を晴らすかのように4タテで圧勝。敗れたピストンズの選手たちは、試合終了を待たずにコートを去り、ジョーダンとの握手すら拒んだ。
初のNBAファイナルではマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズと激突。第1戦を落としたものの、その後は4連勝でシリーズを制覇。優勝を決めた瞬間、ジョーダンはトロフィーを抱えながら涙を流した。
「この瞬間のために、俺は全てを捧げてきた。」
ジョーダンの神話が本格的に幕を開けた瞬間だった。
黄金時代:3連覇(スリーピート)
初優勝を果たしたジョーダンは、止まることを知らなかった。
1992年のファイナルでは、クライド・ドレクスラー率いるポートランド・トレイルブレイザーズと対戦。第1戦で1試合6本の3ポイントシュートを決めるという当時のファイナル記録を達成し、首をかしげながら「自分でも信じられない」といった表情を見せたシーンは今でも語り継がれている。
1993年のファイナルでは、親友チャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズと死闘を繰り広げる。第6戦ではジョン・パクソンの決勝3ポイントとホーレス・グラントのブロックで勝利し、3連覇(スリーピート)を達成した。
突然の引退と「アイム・バック」
父親を失ったショックと、すでに全てを成し遂げた満足感から、ジョーダンは1993年に突然の引退を発表。バスケットボールを離れ、野球に挑戦するという異例の道を選んだ。
しかし、バスケットボールの神がこのまま終わるはずはなかった。1995年3月18日、ジョーダンは短い言葉で復帰を宣言する。
「I’m back.(俺は帰ってきた。)」
背番号は23ではなく45。復帰後のプレーは決して完璧ではなく、プレーオフではシャキール・オニール率いるオーランド・マジックに敗れ、久々に「敗北」を味わった。
復活の王者:再びの3連覇
ジョーダンは敗北から学び、再び23番のユニフォームに袖を通すとともに、以前よりも洗練されたプレースタイルを確立した。
1995-96シーズン、ブルズは72勝10敗という当時のNBA史上最高勝率を記録。ファイナルではゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプを擁するシアトル・スーパーソニックスを4-2で下し、ジョーダンは「Father’s Day(父の日)」に再び涙を流した。
続く1997年、ユタ・ジャズとのファイナルでは、”フルゲーム”として知られる第5戦で、ジョーダンは高熱に苦しみながら38得点を記録。最後はスティールからスティーブ・カーへのアシストでシリーズを決めた。
1998年のファイナル、再びジャズとの対戦で迎えた第6戦。残り10秒、ジョーダンはブライオン・ラッセルをかわし、フェイダウェイジャンパーを沈めた。**「ラスト・ショット」**と呼ばれるこの瞬間は、バスケットボール史上最も象徴的な場面のひとつとして刻まれている。
終章:6度のファイナル、6度の勝利
ジョーダンが6回出場したNBAファイナルで敗れたことは一度もない。6度の優勝と6度のファイナルMVP。これほど勝負強く、決定的な瞬間に輝き続けたアスリートは他にいない。
引退と復帰を繰り返した後、2003年に最終的な現役引退を迎えたが、彼の影響力は今もなお絶大だ。
「俺たちが生きている間に、こんな勝負強いアスリートに再び出会えることはないかもしれない。」
マイケル・ジョーダン――それは単なるバスケットボール選手ではなく、スポーツそのものの象徴であり、永遠に語り継がれる存在なのだ。
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