753-レジー・ミラー
レジー・ミラーとニックス—宿命のライバル対決
NBA史上、レジー・ミラーほどニューヨーク・ニックスを苦しめた選手はいないかもしれない。ペイサーズ一筋でキャリアを過ごしたミラーは、90年代のプレーオフで何度もニックスと対戦し、そのたびに歴史的な名場面を生み出した。
彼の殿堂入りスピーチでは、1995年のカンファレンス・セミファイナル第1戦について「グレッグ・アンソニー、今どこにいるのかわからないけれどこの言葉を聞いてくれることだろう。言っておかなければね、、、。95年のあのプレイで、私は君を押した、、、。悪い!でもレフェリーはコールしなかった。あれで勝っちゃったわけだけど、マジック(ジョンソン)の言う通り、何としても勝つことが大事だ。 でもお詫びしなければね、、、。公にこれを話したのは初めてだ」と語っている。
この一言が示すように、ミラーとニックスとの戦いは、時に物議を醸し、時にドラマティックな展開を生んだ。ここでは、その宿命の対決を振り返る。
1994年 カンファレンス・ファイナル—“ミラータイム”の誕生
ミラーとニックスの因縁は1994年のカンファレンス・ファイナルで本格化した。このシリーズは、当時のニックスのエース、パトリック・ユーイング率いるチームと、ミラー擁するペイサーズが激突した大熱戦だった。
シリーズ第5戦、舞台はマディソン・スクエア・ガーデン。第4クォーターに入ると、ミラーが覚醒する。怒涛の25得点を叩き出し、試合をひっくり返したのだ。試合を通じて39得点を記録し、ニックスファンを沈黙させたミラーは、コート上でスパイク・リーと口論を繰り広げるなど、挑発も忘れなかった。
この試合こそ、“ミラータイム”という言葉が定着するきっかけとなった伝説の一戦だった。しかし、このシリーズはニックスが4勝3敗で制し、NBAファイナルへと駒を進めることになる。
1995年 カンファレンス・セミファイナル—伝説の“8点連取”
1995年のカンファレンス・セミファイナル、ニックスとペイサーズが再び対決。シリーズ第1戦は、NBA史に残る奇跡の試合となった。
残り18.7秒、ペイサーズは99-105と6点ビハインド。しかし、ここからミラーが衝撃の8点連取を決め、試合をひっくり返してしまう。
まず3ポイントシュートを沈めると、直後のインバウンズパスでグレッグ・アンソニーと接触しながらスティール。そのまま3ポイントを決め、同点に追いついた。さらに、ニックスのフリースロー失敗後、ミラーが冷静にフリースローを決めてペイサーズが逆転。わずか9秒間で8得点という、まさにミラータイムと呼ぶにふさわしい大逆転劇だった。
後年、ミラー自身が「あの時、アンソニーを押してしまった」と認める発言をしたことからも、あのプレイの激しさが伺える。
1998年 カンファレンス・セミファイナル—クラッチシューターの本領発揮
1998年、両チームは再びカンファレンス・セミファイナルで対戦。シリーズは第4戦、またしてもミラーが伝説を作る。
試合終盤、ペイサーズは99-102と劣勢。残り5.1秒、ミラーがディープスリーを放つ。これが見事に決まり、試合はオーバータイムへ突入。その勢いのまま、ペイサーズが勝利を手にした。
この試合は、ミラーのクラッチ力を象徴する一戦となった。
2000年 ニックスを倒し悲願のファイナル進出
ミラーの唯一のNBAファイナル進出は2000年のカンファレンス・ファイナルでニックスを破ったときだった。このシリーズを制したことで、ついにペイサーズはNBAファイナルへの切符を手にする。
試合後、ミラーは「ニックスを倒してファイナルに進むのは大変光栄だ。時にニューヨークを憎んだ時もあったけれど、彼らにはリスペクトを持っているよ」とコメント。長年のライバル関係に終止符を打った。
ニックス・キラーとしての遺産
レジー・ミラーは、クラッチシューターとしての才能と強烈な個性で、NBAの歴史に名を刻んだ。特にニックス戦での活躍は、今でも多くのファンの記憶に焼き付いている。
彼の伝説的なパフォーマンスは、単なる得点力ではなく、勝負所での勝負強さと、相手チームを精神的に揺さぶる能力にあった。だからこそ、「ミラータイム」という言葉はNBAファンの間で語り継がれ、今もなおバスケットボール界に響き続けている。
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