「どんな理由であれ、チャンスを逃す気はなかった」byアレン・アイバーソン

歴代最低身長のドラフト1位指名は11月1日のバックス戦で30得点の鮮烈デビュー。

3月12日のブルズ戦、ジョーダンをクロスオーバーで振り切り、ジャンパーを沈め「信じられないほど速い」と脱帽させたシーンは今でも語り草となっている。

極めつけは4月、新人史上最長の5戦連続40得点越えのうち、1試合は50得点と大爆発した。

ただこれだけ活躍しても、チームが22勝60敗と低迷したのは、その後の勝てないキャリアを暗示しているようにも思える。

その要因として、アレン・アイバーソンと共存するのは難しいという事実がある。

1996年に彼をドラフト1位指名して以来、フィラデルフィア・セブンティシクサーズはチームの構成に常に頭を悩ませてきた。

NBA有数のスコアラーを支える第2の得点源を確保すること。

それが王座獲得のためのフロントに課せられた使命であった(と思われていた)。

候補リストには錚々たる面々が名を連ねた。

ジェリー・スタックハウス、 ラリー・ヒューズ、トニー・クーコッチ、 マット・ハーブリング、キース・バンホ ーン、グレン・ロビンソン、そしてクリス・ウェバー。

いずれも他チームではエース級の活躍を期待できるスコアラーだが、 一人として役割を果たすことができず、 すぐにチームを去っていった。

アイバーソンと共闘した時の彼らのスタッツを見れば、彼らの失敗も納得がいく。

シクサーズは異常なまでにアイバ ーソン中心のチームだった。

そのカリスマとの共存は第2の得点源、いわゆる『セカンド・オプション』では務まらない。

実際にNBAファイナルに到達した時も、エリック・スノウがPGを務め、DFにエネルギーを注ぐディケンベ・ムトンボをトレードで獲得した。

役割に徹することができる『ロール・プレイヤー』の方がアレン・アイバーソンとの共存という意味では最適だったのだ。

追試、それでもNBAにP4Pがあったら、彼がいちばんな気がする。

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