野性味あふれる豪快なプレーで高い人気を博した天才児だが、一方で短気という欠点もあったラトレル・スプリーウェル。

NBA2年目でファーストチームに選ばれた才能の持ち主。

正直、全盛期のウォリアーズ時代をリアルタイムで見たかった。

プロ入り当初は無名だったが、類まれな運動能力と無尽蔵のスタミナを武器に攻守で躍動。

2年目にはオールスター出場、オールNBA1stチーム&オールディフェンシブ2ndチーム入りと一気にスターダムを駆け上がった。

そんな彼のウォリアーズのキャリアは予期せぬ形で終わりを迎える。

前代未聞の事件が起こったのは1997年12月1日、練習中に口論の末、当時の指揮官PJ・カーリシモH・Cの首を絞める暴行を起こし、68試合の出場停止を喰らった。

それと共にコンバースとの契約も解除された。

出場停止処分を受けるとそのまま復帰することなく、翌年の開幕前にニックスに放出された。

そして翌年はロックアウトが発動。

短縮シーズンとなった98-99シーズン、ニックスは9位と1ゲーム差の8位でかろうじてプレーオフに進出。

そしてあの「ミラクル・ニックス」を巻き起こす原動力になる。

追伸、NBA引退後の06年に今度は女性の首を絞め、13年の大晦日には迷惑行為で逮捕と暴れん坊ぶりは健在だ。

シェアする
ポスタをフォローする

コメント