2007年のNBAファイナルで、キャブス相手に4戦全勝でスパーズを勝利に導き、ファイナルMVPに輝いたトニー・パーカー。

球団創設37年目で初のファイナルにたどり着いたキャブスに対し、ここ5年で3度目のファイナルとなったスパーズはファイナルでの戦い方を熟知していた。

大手をかけて迎えた第4戦の終盤、一時リードを奪われるも堅守からのランで鮮やかに逆転勝利。

スイープで2年ぶり4度目のリーグ制覇を成し遂げた。

ファイナルMVPに選ばれたのは平均24.5点、5.0リバウンド、3.3アシストを記録したトニー・パーカー。

欧州出身選手として初の戴冠となった。

チームの精神的支柱はティム・ダンカンだが、このころには得点面でチームをリードする存在になっていたトニー・パーカー。 

特にゴールへのドライブがうまく、驚異的なスピードでディフェンスを崩し、PGとしてはFG%が高かった。

何よりペネトレイトからのティアドロップがそうさせた。

19歳でNBA入りし、スパーズに所属し、名称をグレック・ポポビッチHCからポポビッチHCから「ウチはジェイソン・キッドを取りに行くから、そのつもりでいろ」と言われたこともあったそうだ。

だが流動性のあるスパーズ・システムの下でプレーする事で、チームプレーの中で自分の得点力を生かすことを学んでいった。

それがチームメイトからの信頼を得ることにつながり、パーカーをただのペネトレイターではない特別な選手に成長させた。

「若いポイントガードにとって最も難しい部分は、ボールを持つために正しい選択をして、チームメイトやコーチから信頼と尊厳を勝ち取ることなんだ」。

追伸、西高東低真っただ中の2000年代のNBAは、負け越しでもプレーオフに進出できたイーストと、勝ち越しでもプレーオフに進出できないウエストという現状があった。

スパーズがキャブスを圧倒するという結果は、ファンにとっては何の驚きもないものだった。

パーカーが「キャバリアーズがもしウエストだったら何位ぐらい?」との問いに「7~8位くらいかな。」とコメント。

実際はもっと差があったかもしれない。

そのような状況では世間の興味を喚起することも難しく、優勝が決まったファイナル第4線の視聴率ですら、わずか6.5%にとどまってしまった。

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