体の使い方が上手く、ボディバランスに優れ、必要に応じてペネトレイトからダンクに持ち込む事もあり、地味なプレーの多いスパーズでは異彩を放つ「ユーロ・ステップ」の先駆者、マヌ・ジノビリ。

マヌ・ジノビリは、アルゼンチンの元プロバスケットボール選手であり、NBAのサンアントニオ・スパーズでプレイしたことで知られています。

ジノビリは1977年7月28日にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、地元のクラブチームであるエステュディアンテス・デ・ラ・プラタでバスケットボールを始めました。その後、イタリアのプロリーグに移り、ヴィルトゥス・ボローニャでプレイしました(1999年のNBAドラフトでサンアントニオ・スパーズから2巡目57位で、NBAのサンアントニオ・スパーズにドラフト指名されている)。ジノビリはセリエAのボローニャで2年間プレーして2002年にアメリカ合衆国に渡りました。

ジノビリはスパーズでのキャリアを通じて、多くの栄光を手にしました。彼は4回のNBAチャンピオンシップを経験し、2004-05シーズンには初のNBAオールスターゲームに選出されました。また、2004年にはアテネオリンピックでアルゼンチン代表として金メダルを獲得し、自身も大会MVPに選ばれました。

ジノビリはスパーズでのキャリアを通じて、主に6thマンとして活躍し、スパーズの攻撃陣を支えました。彼は非常に創造的な選手であり、高いバスケットボールIQを持ち、スピードとテクニックを兼ね備えていました。

ドリブルでは独特のリズムを刻む切り返しやドライブ、スピンムーブ。シュートでは一般的に守り辛いとされる左利きの上、リバースレイアップ、ステップバックジャンパーなど、ジノビリ独自の味付けをした技術を駆使したもので、彼のプレイはファンや評論家に高い評価を受けていました。彼の特徴的なプレイスタイルは、ヨーロッパからアメリカに渡ってきた影響を反映しており、多くのファンから高く評価されています。

2018年8月、ジノビリはプロのバスケットボール選手としてのキャリアを終え、NBAでのプレイヤー生活を終えました。彼の引退は、スパーズのファンやバスケットボールファンにとって非常に感動的な瞬間でした。ジノビリは、彼の卓越したスキルとリーダーシップによって、NBAの歴史に永遠に名を刻む選手となりました。

追伸、今でこそヤニス・アデトクンボ、ひと世代前だとドゥエイン・ウェイドが使っている「ユーロ・ステップ」。

彼らには共通して「規則性」が感じられるが、ジノビリの場合、同じユーロ・ステップとしては、ひとくくりにできない「異質感」がある。

「このタイミングでその間を割って入るのか。」という独特のリズムがあった。

シグネチャームーブとして「ジノビリ・ステップ」 が、私にはしっくりくる。

追伸の追伸、股抜きドリブル、股下を通すパスも非常に多かった。

開いてる足の間を通すのはまだ分かるが、走ってる足の間を通っていくパスなど変幻自在。

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