268-ベン・ウォレス
2年連続でイースタンカン・ファレンス先発センターとなったベン・ウォレスはドラフト外で活躍した選手の中で歴史上、最も成功した選手と言えるかもしれない。
ドラフトで指名されなかった選手がオールスターの先発の座を射止めるのは史上初の快挙だった。
大学時代は全国的には全くと言っていいほど無名の選手。
なぜならウォレスは多くの有名選手が活躍するNCAAのディビジョン1ではなくディビジョン2のバージニア・ユニオン大学でプレーしていたからだ。
ディビジョン2ではテレビ放送は皆無と言っていいほどないので、閉ざされた環境でバスケットを続けていたに等しい。
1996年に大学生活を終え、NBAチームのトライアウトを受けたものの、結局ドラフトでは指名されず、ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)と新人フリーエージェントとして契約。
デビュー戦で10リバウンドを奪うなど才能をのぞかせたが、在籍した3年間で先発の座をがっちり確保するまでには至らなかった。
そして99年にトレードでマジックに移籍すると、センター不足もあって先発に抜擢され、リバウンドの数字が伸び始め、注目を集めるようになる。ウォレスの株が上がり始めると、マジックの首脳陣はグラント・ヒルを手に入れるため、00-01シーズンが始まる前にウォレスを手放してしまう。
このトレードでウォレスは選手として開花する。
ウォレスにとって幸運だったことはピストンズでのコーチがディフェンスを重視するリック・カーライルだったことだ。
カーライルの求めるバスケットのスタイルは何よりもまずタフなディフェンスをするチームであること。
カーライルとウォレスの相性は抜群だった。
得点力は求められなかったウォレスは水を得た魚のように活躍し、平均リバウンドをマジック時代から5個も伸ばし、リーグ2位の13.2リバウンドを記録した。
ディフェンスに集中できるようになった影響でブロックの数もリーグ10位の2.33ブロックまで伸びた。
そしてついに01-02 シーズンには13.0リバウンドと、3.48ブロックでNBAナンバー1を記録した。
この2つの部門で同じシーズンでトップになった選手は過去にカリーム・アブドゥル・ジャバー、ビル・ウォルトン、アキーム・オラジュワンの3人しかいなかった。
ウォレスがディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのは当然の結果で、02-03シーズンは2年連続の受賞。
そして念願のオールスター・メンバーにも選ばれるまで成長を遂げたのである。
ウォレスの活躍は、ドラフト外選手の可能性を信じさせてくれるものとなった。
ベン・ウォレスのプレースタイルに関する簡潔な箇条書きは以下の通り。
- 身長6フィート9インチ(約206cm)、体重240フィート(約109kg)のパワーフォワード。
- リバウンド、ブロック、スティールといった守備面での能力が高く、ディフェンスのスペシャリストとして知られる。
- オフェンス面では、中距離シュートやパワームーブを得意とするが、3Pシュートやフリースローは苦手。
- ピック&ロールプレイにおいて、スクリーンの位置取りやローリング、ポップアウトといった技術に長ける。
- ボールを持った状態でのドリブルやスピードには不得意なため、チームメイトからのパスを待ってシュートを放つことが多い。
堅守を誇ったピストンズの守護神としてインサイドで圧倒的な存在感を発揮し続けたベン・ウォレス。
確かに身長206cmと、さほど高さがあるわけではなかった。
センターとしてはアンダーサイズだが、フィジカルの強さと230cmのウィングスパンを武器に相手の攻撃をシャットアウト。
相手ビッグマンに当たり負けしない強靭な肉体と、巧みなポジション取り、そして尋常ではないボールへの執着心でリバウンドを量産した。
もちろんリバウンドだけではなかった。
ボディビルダーのような肉体と垂直跳び107cmの跳躍力を生かしてブロックを量産した。
ピストンズ2年目の01-02シーズンには22試合で5ブロック以上、年間で278本のブロックを叩き出した。
そして00-01シーズンから6年連続で平均2本以上と、全盛期ピストンズの絶対的な守護神として君臨。
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