「どのプレーもカロライナ時代を凌ぐことはできないね。全てはそこから始まったわけだから。自信、知識など全てを得たのは大学時代で、マイケル・ジョーダンがまるごとあの時代に始まった。黎明期はその後いつの時代と比較しても最も尊いものなんだ」。byマイケル・ジョーダン

ジョーダン自身の好きなクラッチプレーは82年のNCAAチャンピオンシップゲームで、ノースカロライナ大の優勝を決定づけたショットであると言う。

マイケル・ジョーダンという名前がアメリカで重要になった日、それは82年3月29日と言える。

NCAAトーナメントの決勝戦が行われた日であるこの年のNCAA決勝は、ノースカロライナ大とジョージタウン大の顔合わせになった。

ノースカロライナ大の先発には上級生中心のチームづくりが目立つ同校には珍しく1年生の選手がいた。

ジョーダンである。

前半わずか4得点に留まっていたジョーダンだが、後半になると並みいる先輩たちを押しのけ、12点をマーク。

その最後の2点が後の人生を決定づけることになるシュートとなった。

白熱する試合は残り1分を切ってジョージタウン大が62対61と逆転。

ノースカロライナ大はボールを敵陣に運んだところでタイムアウトを要求した。

残り32秒。

ここでディーン・スミスヘッドコーチは誰にシュートを打たせるか悩んだと言う。

「自然に考えれば3年生のジェームズ(・ウォージー)か、2年生のサム(・パーキンス)にシュートを打たせるところだった。しかしそうなるとボールがインサイドに入るので、相手のパトリック・ユーイングのブロックが心配だった。そこで相手のゾーンディフェンスにパスで揺さぶりを掛け、コーナーからジャンプシュートをマイケルが決めるというデザインを描いた」

そしてタイムアウトの最後にスミスはジョーダンにこう言い残す。

「もしパスが回ってきたら決めるんだ」

ジョーダンは頷いた。

プレッシャーはなかったのだろうか?

「プレッシャー?ああいった場面で僕はプレッシャーなんて感じない。自然にプレイするだけだ。それにコーチの言葉から信頼されていることが分かったし、それが自信を産んでくれた」

スミスの描いたデザイン通り、フリーになったジョーダンにパスが回ってきた。

ゴールに向かって左側ベースライン付近、ゴールまで16フィートのシュート。

ボールは綺麗にネットに吸い込まれた。

ジョーダンはこのシュートの意味をこう振り返る。

「あのシュートが自分のキャリアの可能性を広げてくれたことは間違いない。それにさらなる自信を僕に植え付けてくれた」

優勝を果たした後の夏、ジョーダンは弱点の強制に取り組んだ。

それはジャンプシュートだった。

「あのシュートを決めてから、最も遠くからジャンプシュートを決められるようになりたいと思ったんだ」。

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