170-レブロン・ジェームス
レブロン18歳。あの“最初の一歩”が、後の帝国の序章だった
NBAにおける「期待の新人」という言葉は、たいてい誇張される。だが、2003年のレブロン・ジェームズに限って言えば、そのラベルは逆に控えめすぎた。高校から直接NBA入りし、まだ18歳。だがドラフト全体1位でキャバリアーズが迷わず彼を選んだ理由は、誰の目にも明らかだった。“規格外”という言葉をレブロンよりふさわしい選手は、当時いなかった。
ここから始まるのは、ただの新人の成長物語じゃない。NBA全体の地図を書き換える存在が、最初に作った“地ならし”のシーズンだ。
デビュー戦25得点。高校上がりの選手とは思えない完成度
レブロンのデビュー戦の相手は、当時の名門・サクラメント・キングス。ウェバー、ビビー、ペジャがいて、ウェスタンカンファレンスの強豪として知られていたチームだ。
そこでいきなり 25得点(高卒選手デビュー戦最多)。
普通はスピードにもフィジカルにもついていけず、心が折れそうになるのがルーキーの洗礼。だがレブロンは違った。試合全体を読むIQ、余裕を感じさせるテンポ、そしてリングへの強引ではない突破。この段階ですでに“大人のバスケ”ができていた。
まだ18歳。だが動きは20代中盤のオールスター選手のようだった。
20.9点、5.9リバウンド、5.5アシスト。3人目の“20-5-5”新人
シーズン通して、レブロンは平均 20.9得点 / 5.9リバウンド / 5.5アシスト。
この「20-5-5」をルーキーで達成したのは、歴史上でもわずか3人。得点だけじゃなく、リバウンドにも絡み、プレーメイクまで担う。まるでPGとSFを同時に務めているような存在感だ。
身体能力だけで押し切るタイプでもない。
IQだけで魅せるタイプでもない。
万能性を18歳が持っていることが、まず異常だった。
レブロンを語るとき、身体能力が最初に挙がる。でも実際は、この万能っぷりこそ本質。彼はデビュー年からすでにチームの司令塔であり、得点源であり、軸だった。
加入前18勝のチームを35勝へ引き上げた「存在そのものがシステム」
レブロン加入前、キャブスは18勝。リーグ底辺だった。
そこにレブロンが入って、 18勝も上積みして35勝47敗。
驚くべきは、主力の補強がほとんどなかったこと。急に戦力が整ったわけじゃない。レブロンが来たことで、チーム全体の流れが変わり、オフェンスの軸ができ、役割が明確になった。
18歳の新人が、ただの“戦力の一部”じゃなく、チームの心臓として機能した。
これは数字以上に重要なことだ。
キャブスが復活へ向かう物語は、この年から始まっている。
カーメロとの新人王争い。“勝って当たり前”ではなかった
新人王の投票では、レブロンが 508ポイント、カーメロが 430ポイント。
正直、この年のカーメロ・アンソニーもとんでもなかった。プレーオフにデンバーを導き、得点でも新人1位。もしレブロンがいなければ、満場一致レベルの新人王だったはず。
ではなぜレブロンが勝ったのか?
理由は大きく2つある。
① 個人スタッツが総合的に抜けていた
得点・リバウンド・アシストすべて高水準。
3つの数字のバランスは新人離れしていた。
② ほぼ無補強のキャブスを35勝まで押し上げた影響力
プレーオフに行けなかったとはいえ、18→35勝は大事件だ。
「この成績でチームが変わった理由は誰?」
という問いに対し、答えは1人しかいない。
新人王は個人賞。だがレブロンの場合、個人成績に加えて“存在の価値”が評価された形だ。キャブスが再びNBAで語られるチームに戻ったのは、間違いなくこの男がきたから。
18歳の驚異。ルーキーシーズンは“王国の礎”
レブロンのルーキーシーズンは、シンプルに言って異常だ。
・高卒選手デビュー最多得点
・20-5-5を唯一無二の完成度でクリア
・18勝のチームを35勝へ引き上げる
・新人王を獲得
・18歳にしてチームの司令塔+エース
この1年は、後の4度の優勝、4度のMVP、数々の記録破壊の前にある“最初の証明”だった。
「この男は、本当にリーグを支配するかもしれない」
そう世界が気づいてしまった瞬間。
レブロンの伝説は、ここから静かに、しかし確実に動き始めた。
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