レブロン・ジェームス21歳でたどり着いた「超一流」の領域。

2005‐06シーズン、NBA3年目のレブロン・ジェームズの進化の一端は、オフェンスで顕著だった。

1試合平均得点は31.4得点(2年目は27.2)。

3年前まで高校生だったレブロンは、ディフェンスが厳しくなるプレーオフでも1試合平均30.8得点と、30点台をキープした。

「ボールを持ったときの見える景色が変わった」と、『スポーツ・イラストレイテッド』誌のインタビューには答えている。

「アイソレーションなどでボールを持ったとき、目の前にいるディフェンダーはもう眼中にない。誰がヘルプに来るのか、それを見ている。なぜなら、目の前の選手は抜けると思うから」。

そして、「そのヘルプに来る選手の動きまで読めれば、ベースラインなどを走ってバスケットに向かうことができる」と続ける。

――コートビジョン――、多くの選手、それが例えばスーパースターと言われるような選手でも、その習得には数年の月日を要する。

しかし、レブロンはすでに「超一流」の領域でプレーしていた。

自身2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて史上最年少でオールスターMVPに輝く。

繰り返すが、この時、レブロンは21歳、世間一般では大学3年生である。

そしてレブロンが自他ともに認めるエースとなり、チームを13年ぶりの50勝に導いた。

新加入のヒューズが故障でシーズンの大半を欠場したことで、レブロンが孤軍奮闘の感もあったが、ドリュー・グッデンやデイモン・ジョーンズらがサポート。

途中、トレードでロナルド・マレーを獲得し、終盤加速。

8年ぶりのプレーオフ進出を果たした。

レブロンはオールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。

そして対ウィザーズとのプレーオフ第1戦は97対86で勝利。

レブロンはNBA3年目にして初となるプレーオフゲームでいきなり鮮烈なデビューを飾った。

レブロンは32得点、11リバウンド、11アシストをマークし、チームの勝利に貢献。プレーオフデビューでトリプルダブルをマークしたのは1980年のマジック・ジョンソン(レイカーズ) 以来のことだった。

カンファレンス準決勝で敗れたもののピストンズ相手に先に王手をかけ、第7戦まで追い詰めた。

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