04年のデュオ解消後はしばらく険悪な中だったが、徐々に関係は修復。09年のオールスターでは揃ってMVPを獲得したコービーとシャック。

シャックとコービー:不仲でも結果を出し続けたダイナミックデュオ

楽観的でいたずら好きなシャックと、練習熱心なコービーは、性格が正反対で何度も衝突を繰り返した。しかし、コート上では結果を出し続け、2000年から3連覇を達成した。

二人の出会いとデュオの始まり

1996年、シャキール・オニール(シャック)はフリーエージェントでロサンゼルス・レイカーズに移籍し、コービー・ブライアントはドラフト後のトレードでレイカーズに加わった。しかし、コービーは最初の2年間は控え選手としての役割だったため、正式にデュオを結成したのは1998-99シーズンからだった。

シャックの全盛期の到来

シャックとコービーは生粋のスコアラーであり、ボールを独占する傾向が強かった。しかし、名将フィル・ジャクソンが1999年オフにヘッドコーチに就任すると、彼らは共存の方法を見つけることができた。新体制で勢いをつけた1999-2000シーズンのレイカーズは、67勝と圧巻の強さを見せ、プレーオフでも快進撃を続けて1988年以来のファイナル制覇を達成。カンファレンス・ファイナル第7戦で見せたアリウープは、今でも語り草となっている。このシーズンのシャックはレギュラーシーズン、オールスター、ファイナルのすべてでMVPを獲得し、リーグNo.1プレーヤーの座を確固たるものとした。

圧倒的な強さと三連覇

翌2000-01シーズン、レイカーズはプレーオフ通算15勝1敗という他を寄せ付けない圧倒的な強さを発揮し、ファイナルではフィラデルフィア・セブンティシクサーズを4勝1敗で蹴散らして連覇を達成。チーム全体が倦怠感を感じさせた2001-02シーズンは、カンファレンス・ファイナルでサクラメント・キングスに大苦戦するもなんとか勝ち抜き、マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ以来となる「スリーピート」を成し遂げた。

共存への挑戦とフィル・ジャクソンの存在

フィル・ジャクソンは豊富な経験と人間的な迫力を備えており、エゴの強いシャックとコービーを統率するには最適なコーチだった。ジャクソンはトライアングル・オフェンスを用い、シャックとコービーの個性を最大限に引き出した。2000年にはチームの半分以上となる平均52.2点を奪取している。

シャックとコービーの個々の実績

シャックは1992年のドラフト1巡目1位でオーランド・マジックに入り、19年のキャリアで6チームを渡り歩き、優勝4回、オールスター選出15回という輝かしいキャリアを送った。一方のコービーも1996年のデビュー以降、20年間で優勝5回、オールスター18回と実績を残し、マイケル・ジョーダンが引退した後のNBAのアイコンであり続けた。

結論:歴代No.1のダイナミックデュオ

2000年~02年にレイカーズをNBA史上3チーム目となる3連覇に導いたシャック&コービー。スコアラーの両者は爆発力も兼ね備えており、好調時はチームの半数以上の得点を2人で稼ぐことも珍しくなかった。シャックとコービーは、時に衝突しながらも、その実績と経歴を紐解けば、NBA史上でも最高級のデュオであったことに異論の余地はない。彼らの支配力は歴代No.1と言えるだろう。圧倒的な支配力を持つ両者だが、個性が強く性格も正反対の2人は何度も衝突を繰り返し、仲の悪さでも有名になった。幸いなのはコービーのキャリアが終盤に差し掛かった頃、両雄の関係は雪解けに向かっていた。不仲ばかりが話題になることも多かったが、年齢的に全盛期だった二人のレジェンドが一緒に過ごした時間が、期間限定に終わったからこそ一層の輝きを帯びるのも事実。彼らの物語は、コート内外での挑戦と成功を描いた、まさに伝説的なものである。

追伸、そして20年1月、コービーがヘリコプター事故で突然の死を遂げた後、オールスターでも真剣勝負に徹してきた男の名がトロフィーに付けられた。

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