53-シカゴ・ブルズ
ジョーダンの残像を超えて――再建期ブルズの戦う矜持と限界
栄光の記憶と、終わらない再建
マイケル・ジョーダンが去った後のシカゴ・ブルズは、長く「過去の栄光を引きずるチーム」として迷走を続けていた。1998年の王朝解体後、完全な再建に舵を切る。しかしその成果はなかなか出ず、2000年代前半のブルズはリーグ屈指のドアマットチームとして低迷を続けた。
そんな中、ようやく希望の光が差し込んできたのが、2003年にドラフト7位で指名したカーク・ハインリック、そして翌2004年に3位で指名したベン・ゴードンの存在だった。
得点できる司令塔、ハインリックの台頭
カンザス大出身のカーク・ハインリックは、ディフェンス力とシュート精度を兼ね備えた堅実なPGだった。安定したボール運び、優れたゲームメイク、そして外角からの得点力。ブルズという混沌とした再建チームにおいて、彼のような存在は貴重だった。
1年目からローテーションの中心に食い込み、ルーキーながらも二桁得点・5アシスト以上を記録。ハードワークとリーダーシップが評価され、コーチ陣からの信頼も厚かった。ジョーダンの影をいまだに引きずるこの街で、ハインリックは静かに新たな「ブルズの顔」になろうとしていた。
爆発力の化身、ベン・ゴードンの衝撃
そしてその翌年、ブルズに劇的な変化をもたらしたのがコネチカット大出身のベン・ゴードンだった。ゴードンはサイズこそ控えめなSGだったが、その得点力はすでにNCAA時代から折り紙付き。NBAに入ってもその“瞬発的なスコアリング能力”は変わらず、1年目からチームのオフェンスに火をつけた。
特筆すべきは、2004-05シーズンにルーキーながら「シックスマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞したこと。ルーキーでこの賞を取ったのはNBA史上初の快挙。特に第4Qに爆発的な得点力を見せる場面が多く、「クラッチ・スコアラー」としての片鱗を見せつけた。実際に、同シーズンで4Qだけで二桁得点を記録した試合が21回もあったというのは、まさに狂気のスタッツ。
ゴードンの得点力は、ブルズに長らく欠けていた“試合を決める存在”そのものだった。
プレイオフ進出も、越えられなかった壁
ハインリックとゴードンを軸に、ルオル・デンやタイソン・チャンドラー、アンドレス・ノシオニらを加えた若手中心のチームは、ようやくチームとしての形を見せ始めた。
2004-05、2005-06と2年連続でプレーオフに進出。ついに“暗黒時代”を脱したかに見えた。
だが、結果はどちらも1回戦敗退。2005年はウィザーズに2勝4敗で惜敗し、2006年はヒートに2勝4敗。いずれも戦える実力は見せたが、経験とタフネスに欠け、終盤の勝負所で崩れる場面が目立った。
若さゆえの未熟さ。派手なプレーは増えても、「勝ち方」をまだ知らなかった。
ブルズは決断する。――ベン・ウォレスを獲得せよ
この現状を打破すべく、ブルズは次の一手を打つ。ディフェンスとリーダーシップに長けたベテランセンター、ベン・ウォレスをFAで獲得したのだ。
ベン・ウォレスといえば、「リバウンドの鬼」、「ペイントの番人」として名を馳せた存在。2002〜2006の5年間で、実に4度のディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞しており、当時のNBAを代表する守備職人だった。
シュート力や得点力は皆無に近かったが、それでも試合を支配できる稀有な存在。フィジカルの強さとバスケットIQの高さ、何より「勝者のメンタリティ」を持ち込むことがブルズには求められていた。
経験とタフネスの導入、その功罪
ウォレス加入の影響は大きかった。ペイントエリアの守備は劇的に改善し、ゴードンやデンといった若手たちも彼の存在から多くを学んだ。2006-07シーズンは49勝を挙げ、ついにプレーオフ1回戦を突破。相手はディフェンディングチャンピオンのマイアミ・ヒートだったが、なんと4連勝でスウィープする快挙を達成。
チームは勢いに乗り、続く2回戦ではピストンズと激突。しかし、ここでウォレスの古巣が立ちはだかる。シリーズは2勝4敗で敗退し、「ついにカンファレンスファイナルか?」という期待は潰えた。
ウォレスの加入は確かにディフェンスの強度を上げ、若手に刺激を与えたが、オフェンス面での制限や契約内容の大きさが、やがてチーム編成に重くのしかかる。
その後の迷走と終焉
2007年以降、ブルズは再び迷走を始める。ウォレスは途中でキャブズにトレードされ、ハインリックも徐々に序列を下げていく。ベン・ゴードンはデトロイトへ移籍し、主力が分解されたチームはまたしてもリセット状態に。
だが皮肉にもその数年後、再びドラフトで“救世主”を引き当てることになる。2008年、地元シカゴ出身のデリック・ローズの登場だ。ローズ時代のブルズはまた別の物語となるが、ハインリック&ゴードン&ウォレスの時代は、ジョーダン後のブルズが「暗黒のトンネルを抜けつつあった」貴重な過渡期だった。
忘れられがちな“中間の時代”
ハインリックとゴードンの奮闘、ウォレスの導入、そして若手たちの成長――。この時代のブルズは、王朝ではなかったし、優勝候補でもなかった。それでも、確かに前へ進んでいた。
ジョーダンという偉大な過去から一歩ずつ距離を取り、新しいスタイル、新しい価値観を探していた。そういう意味で、この“中間の時代”はもっと評価されるべきだと思う。
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