44-ケビン・ガーネット
私が生きてる間にウルブズが優勝する日は来るのか
あの夢のようなシーズンを、俺たちは今も忘れられない
ミネソタ・ティンバーウルブズのファンにとって、2003-04シーズンは今も「夢のような日々」として語り継がれている。ケビン・ガーネットがMVPを獲得し、サム・キャセールとラトレル・スプリーウェルという経験豊かなベテランが加わったあのシーズン。レギュラーシーズンで58勝24敗、堂々のウェスタン・カンファレンス1位。チームとしてのピーク、そしてウルブズの歴史における最大の到達点だった。
でも、そこにたどり着くまでのガーネットは、長い孤独と戦ってきた。
“万能”という言葉では足りない、全盛期のKG
MVPを獲得する前年、すなわち2002-03シーズンのガーネットはすでにリーグ屈指のオールラウンダーだった。平均23.0得点、13.4リバウンド、6.0アシストというスタッツは、当時のビッグマンとしては異常とも言える数値。そして数字だけじゃない。彼はディフェンスリバウンド数、ダブルダブル数、トリプルダブル数のすべてでリーグ1位という離れ業をやってのけた。
オフェンスでは中距離のジャンパー、フェイダウェイ、ポストアップ、ターンアラウンド、時に3Pラインからのショットまで。状況に応じてどんなシュートも撃てる。さらにパスセンスが抜群。ピック&ポップ後に逆サイドへのパスを通す判断力と技術は、ビッグマンという枠に収まるものではなかった。
ディフェンスでは、長いウィングスパンと驚異的なフットワークを武器に、相手のエースを1on1で止めるだけでなく、ヘルプにも抜群のタイミングで入れる。ティム・ダンカンとのマッチアップは、今でも語り草だ。あの“ファンダメンタルの鬼”を正面から守り切れる選手は、KGの他には数えるほどしかいなかった。
ウルブズ時代の最大の壁──「脇役不足」という宿命
これだけの個人能力がありながら、なぜ優勝できなかったのか?その問いに対する答えは明確だ。周囲のサポートがあまりにも乏しかった。ウルブズは長年、ガーネットにゲームのすべてを任せすぎた。得点、リバウンド、アシスト、ディフェンス、リーダーシップ──すべてを一人の男に背負わせていた。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ウルブズはテレル・ブランドン、ウォーリー・ザービアックなど、“形”は揃えていたが、プレーオフで勝つには力不足で。プレーオフで“勝負どころを知る男たち”がいなかった。
それでもガーネットは腐らず戦い続けた。そしてようやく、2003年に奇跡が起きる。
スプリーウェルとキャセールの加入──奇跡のケミストリー
サム・キャセールはその時すでに33歳のベテランだったが、経験と勝負強さを兼ね備えた“真の司令塔”。彼がゲームをコントロールすることで、ガーネットの負担は激減した。キャセールのピック&ロール、ミドルジャンパーは非常に堅実で、堂々とゲームをコントロールした。
ラトレル・スプリーウェルは「問題児」のレッテルを貼られていたが、この年はチームプレイヤーとして徹し、ウルブズの攻撃を広げる存在になった。彼のカットインとオフボールムーブは、ガーネットとの相性も抜群だった。
この3人が絶妙に噛み合った結果、ウルブズはウエスト1位、そしてフランチャイズ史上初のカンファレンスファイナル進出を果たす。だが、その夢はシャック&コービー擁するレイカーズに砕かれる。しかもキャセールが怪我でシリーズ途中から満足に出場できなかった。もしフルメンバーだったら、結果は違っていたかもしれない。
あの年が“唯一のチャンス”だったのか
その後のウルブズは再建モードに入り、ガーネットも2007年にセルティックスへとトレードされる。そしてボストンでついにチャンピオンリングを手に入れることになる。
けど、それでも私たちウルブズファンにとっては、あの2003-04シーズンこそが「真の頂点」だった。KGがミネソタで成し遂げようとした夢。その実現が“あと一歩”で止まったからこそ、今も胸を締めつける。
今、エドワーズと共に“新しい夢”を見れるか?
2020年代、アンソニー・エドワーズの台頭により、ウルブズは再び希望を手にし始めている。
でも、KGのようにすべてを背負わせるのではなく、組織として支える形を作れるかがカギになる。もし、あの頃のような「たった1年だけ奇跡が起きる」ではなく、継続して勝てる文化を築けたなら──
そのときこそ、「私が生きてる間にウルブズが優勝する日」は現実になるかもしれない。
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