39-ドリームチームⅢ
初代の影を背負いながら
1992年、バルセロナ五輪で世界を震撼させた“ドリームチーム”。ジョーダン、マジック、バードら歴史的プレイヤーが一堂に会し、バスケットボールの概念を根底から塗り替えた。それから4年後、アトランタで迎えた1996年夏。アメリカは再び“ドリームチーム”を編成するが、その顔ぶれは新旧が混在した“第二世代”とも言える構成だった。後に「ドリームチームⅢ」と呼ばれるこのチームは、実績・バランス・勢いのすべてを兼ね備え、栄光を継承する者たちの姿を体現していた。
驚異の12人、7人が“偉大な50人”
アトランタ五輪のアメリカ代表メンバーは以下の12人。
- チャールズ・バークレー
- スコッティ・ピッペン
- カール・マローン
- ジョン・ストックトン
- デヴィッド・ロビンソン
- アキーム・オラジュワン
- ペニー・ハーダウェイ
- グラント・ヒル
- ミッチ・リッチモンド
- ゲイリー・ペイトン
- シャキール・オニール
- レジー・ミラー
この中で、バークレー、ピッペン、マローン、ストックトン、ロビンソン、オラジュワン、オニールの7名は、1996年にNBAが発表した「50人の偉大な選手」に選出されている。さらに、バークレー(1993)、マローン(1997,1999)、オラジュワン(1994)、オニール(2000)と、引退までにMVPを受賞する選手も複数人おり、実績の面から見ても群を抜いていた。
この時点でペニー・ハーダウェイとグラント・ヒルはNBAの未来を担う若きスターだった。どちらもまだMVPは取っていなかったが、リーグを代表するオールスターであり、人気・実力ともにジョーダンの“後継者候補”とされていた。
ミッチ・リッチモンドというサプライズ
1995年のNBAオールスターゲームでMVPを受賞したミッチ・リッチモンドは、地味ながら確かなシュート力と得点力で評価を上げていた選手だ。ゴールデンステイト、サクラメントといった強豪ではないチームにいながらも、彼の安定感と献身性は一目置かれていた。
この年、ジョーダンが推薦したことでアメリカ代表に選出されたという逸話が残っており、それは彼の実力が“本物”だったことの証明でもある。結果的に彼はアメリカ代表でも重要なローテーションメンバーとして起用され、隙のないオフェンスに厚みをもたらした。
圧巻の支配力、誰も追いつけなかった
大会中、アメリカ代表は他国を寄せ付けなかった。予選から決勝まで全勝。しかもほとんどの試合で20点差以上の大差をつけて勝利している。
準決勝のリトアニア戦では138−96、決勝のFRユーゴスラビア戦では95−69。初代ドリームチームが魅せたような“遊び心”こそ控えめだったが、完成度とチームバスケの浸透度は間違いなく向上していた。なにより、個々の選手がピークを迎えつつあったタイミングでの結集だったことが、この圧倒的強さに繋がっている。
特筆すべきは、ピッペンとペイトンのディフェンス。両ウィングでの圧力とスティール能力は、FIBAルールの下でも猛威を振るい、相手に自陣をまともに通させなかった。
代表経験の有無とその意味
このドリームチームⅢの特徴は、初代メンバーを一部残しつつ、新世代を融合させた“過渡期的”なチームであったこと。バークレー、ピッペン、ロビンソンは92年からの継続選出であり、彼らは明確に「継承者」としてチーム内でリーダーシップを担っていた。
一方で、ペニーやグラント・ヒルといった“選ばれし未来”の存在が加わることで、アメリカバスケの将来性もチームの中に落とし込まれていた。
ただし残酷な話だが、グラント・ヒルもペニー・ハーダウェイも、以降のキャリアはケガによって絶頂期を失っていく。96年のアトランタは、彼らが“夢の共演”として一番眩しく輝いたタイミングでもあった。
ドリームチームⅢの評価
初代ドリームチームが持つ神話的なインパクトには及ばない。それは仕方がない。何しろ初代は「初めて」NBA選手を五輪に送り込んだ歴史的なチームだったのだから。しかし、冷静に受賞歴、スキルバランス、年齢のピーク、FIBAルールへの適応度などを鑑みると、この96年チームは初代に次ぐ完成度だった。
1on1のスキルで勝負する選手が多くいた初代に比べ、Ⅲはより“NBAのチームバスケット”を国際舞台で展開した最初のチームだったとも言える。ペイトンの司令塔ぶり、オラジュワンとロビンソンのツインタワー、外からのミラーとリッチモンド、何でもこなせるピッペンとバークレー。スタイルも明確だったし、穴がなかった。
そしてジョーダンは…
この時期、ジョーダンは1995年に電撃復帰し、1996年にはブルズで再びNBAチャンピオンに返り咲いていた。もし彼がアトランタ五輪にも出場していたら、ドリームチームⅢは「完全無欠」になっていたかもしれない。
実際、彼はこの代表入りを辞退している。それが“若手への道を譲る”意図であったことは広く知られており、代わりに彼が推薦したリッチモンドの選出は、その意図を象徴する出来事でもあった。
総括:継承と完成のチーム
ドリームチームⅢは、栄光の継承と次世代の希望、その両方を体現したチームだった。大会を支配した実力だけでなく、メンバーの多くが“歴史の証人”として語り継がれる存在である点で、このチームはただの「強い代表」ではなかった。
彼らの輝きは、92年の神話を過去のものにせず、それを未来に橋渡しする役割を見事に果たしていた。もしジョーダンがいたら? もしヒルとペニーが健康を保っていたら?──そんな仮定がつきまとう分だけ、このチームには“語りたくなる余白”が残されている。
そしてそれこそが、ドリームチームⅢが“偉大な存在”である証拠だ。
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